博多弁じじいの独り言18:きばりんしゃい(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)四月十八日 金曜日)

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  昨日は9,493歩/60分。158歩/分。事情があるばってん、一万歩未達成をそのせいにはせんったい。相田みつをさんの言葉にくさ「できなかったの? やらなかったの? どっち?」という言葉ばあるとって、「やらなかったったい」昨日のおれはくさ。きばらんや。一万歩げないう目標に問題があるっちゃないと? 一万一千歩にしたらくさ一万歩はいくっちゃなかと? うん明日か実績報告もそうするたい。もっと気張っていきんや。もう一度誓うばい。

お天道様今日こそはくさ昨日よりよか一日ば過ごすけん見張とってください

  昨日からかみさんの機嫌の悪いかと。しょっちゅうばってん。なんか頭が痛かけん、今日ははよ寝るげないいよんしゃあと。布団ばしけげな。女性の体のことはようわからんしくさ、触らぬ神にたたりなしやけん、こげんときははいはいということば聞くとばいちばんったい。機嫌が悪か時に怒らしたらやおいかん(どうにもならない)めいが。

  それでくさ。俺も早く寝たったい。その時に小さい時のことば思い出したと。なしてこげんことば思い出したとかいな。
  小学校一年生のことばい。まことちゃんげな友達がおってくさ、よお学校にくさ遅刻ばするけん、俺が朝迎えに行っとったったい。迎えに行くとくさ、遅刻の原因ばわかったとって。出る時に、お母さんにブーたれとるとって。あれがない、この靴はいやだとかくさ。おれんがたで(自分の家で)くさ、こげなことばしたらもう一生家に入れてくれんばい。

  何日間はくさ、がまんばしとったばってん、ある日くさ、俺の堪忍袋の緒が切れたったい。「お母さんにどげな口ば聞きようとか? 朝は気持ちよかごと出らんかったらいかんとって!」げな言ってくさ、一発くらしたったい(なぐった)。当たり前のことやろ? まことちゃんは火のついてように泣きよった。お母さんはみっともないぐらいくさ、オロオロしよった。

  びっくりしたとはその後ったい。お母さんがくさ、学校に言いつけたとって。「もう宝徳くんをうちの家に近づけないでください。一緒に遊ばせないでください」げな。

  お袋は、学校に呼び出されたとって。うちのお袋はくさ俺が悪さして学校に呼び出されてもくさ、その内容ば日本男児として恥ずかしい行いやないかぎり絶対に俺には言わんとって。毅然とした女性やったと。ばってん、事情を聞いたお袋はこれだけはくさ俺に言ったと。「明日からまことちゃんと遊ばないように」げな。それ以上はなんも言わんと。俺は別に朝にくさ迎えに行かんでよかし、あげな理由でまことちゃんが遅刻しようがしまいが関係のなかけんよかたったい。

 ばってん、まことちゃんが、俺と遊びたがるとって。しろしか〜(うっとうしい)。一緒に遊びよったらくさ、お母さんが飛んできてまことちゃんの手ば引いて連れて帰るとって。うちの家に抗議ばしにきよんやしゃあと。それでもくさ、うちのお袋は俺になんも言わんと。まあ、「議論にも値しない」と思ったとやね。

  俺んがたが親父の仕事の都合でくさ、転勤になって引っ越す日がきたったい。そしたらまことちゃん(もうしばく会っとらんし口もきいとらん)が、家にきてくさ、あとでまことちゃんちに来てくれげないうとって。親が来んかい! お袋はくさ、まことちゃんに親切に対応したばってん、その依頼を無視して引っ越したったい。

  昨日、ネットでこげなニュースがあったと。「パン屋さんで男の子がパンを手の指でくさ、ちょんちょん突っつきまっわしとったけん、店員さんが注意したげな(ニュースは標準語ばい)」そうしたらお母さんがきてくさ「あら〜◯◯ちゃん、いっぱいつっつけたと? よかったね〜」げな言ったらしいばい。

  俺が店長やったら即入店禁止ばい。店の方にも売らない権利はあるけんね。

  前にもブログに書いたばってん、男の子は最初から男の子やないとって。女の子は最初から女の子やけん、子供の頃からつよかろうが。男の子はくさ、「あんたは男でしょ!」げな言ってくさ、自覚ばさせんと男の子にならんとって。

 おれやらくさ、小学校四年生のときにくさ、むちゃな自転車漕ぎをやっとってすっころんで、膝の下をくさ、ばっくり割ったんことがあったと。骨が見えとったと。その頃のお袋は病気の状態が一番ひどかったときったい。それでも、俺を病院につれていったと。行ったらくさ、まず膝下の中を洗浄ばして、縫うったい。何針か医師はおれに言わんったい。部位が部位やけん麻酔が効かんったい。結果として12針ば縫ったと。終わるまで何針かわからんやったと。今でも覚えとるぐらいの激痛が12回俺を襲ったとって。枕元に病気でボロボロの体のお袋がおるとって。ひと針縫うたびにお袋がくさ「あんたは男でしょう。泣いたら承知しないからね!!!」げなあの病気でボロボロのお袋のどこからそげな声ばでるとかいなと思ってお袋ばみたら、目に涙をいっぱいためとろうが。その檄を12回飛ばしたとって。

 昔の母親はくさ、男の子ば育てるとに必死やったとって。男の子をほんとうの男の子にしようと思ってくさ。気張らないいかんったい。男の子は、そげんせんと、いざ、大切な人とかくさ、大切なものば守る時に逃げ出すような男になるったい。

 最近、気になることはくさ、20代、30代ば、なんのしんどい思いもせんとすーっと生きる男が多くなっとろうが。こいつらは、くだらん40代、50代を過ごすようになるばい。俺もまだ66歳ばってん、今になって、20代の時に「しんどいなあ」げな思ったことがくさ、ようやくみのり始めとるとよ。その実感があると。

男の子はきばりんしゃい
もうだめだ そう思う時 はじまるは 男のきばり 男の成長 

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このページは、宝徳 健が2025年4月18日 01:43に書いたブログ記事です。

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