三振(みふり)の思ひ出3(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)四月二十四日 木曜日)2

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  三振(みふり)というのは、私が若い時(60歳前)に大切にしていた木刀三振(みふり)とのちょっとやんちゃな思ひでと共に、歴史学者が知っていても絶対に言わない正しい我が日本の歴史を書いています。

  我が日本の縄文時代は約13,000年前後から約3,000年前後の約1万年間続いています。遺跡の数は14,500に上ります(発掘されているものだけ)。その間に稲作も行われています。稲作が大陸から伝来したというのは全くの嘘です。だって支那大陸の春秋戦国時代が紀元前770年〜紀元前221年です。この時に漢民族は90%死んでいます。我が日本の縄文時代に日本に稲作を伝来させられるはずがありません。私たちが中学の頃支那大陸の歴史は「中国三千年」と習いました。日中の国交が結ばれたときは、「中国四千年の歴史」と彼らは言っていました。今は、「中国五千年の歴史」と彼らは言います。笑いますね。彼らの歴史をプロパガンダと言います。

 その縄文時代に北海道・東北を中心に縄文文化が発展します。それが「高天原」=「日高見国(ひだかみのくに)」です。これはある方の克明な研究で存在が知られています。当時は温暖期で北海道・東北は寒くありませんでした。また物資が豊かだったので、争いが起きませんでした。その時の言わば高天原(たかまがはらに)の神が、皇親神漏岐命(すめらがむるかむろぎのみこと:男性)と皇親神漏美命(すめらがむつかむろみのみこと:女性)をはじめとした八百万の神(やおよろずのかみ)です。古代から多神教というは、国が豊かな証拠です。一神教はすぐに喧嘩して物と人を奪い合います。

  大祓詞には、このような我が日本の歴史と国体が順を追って書かれています(これはまたいずれ)。

  それが寒冷期になり、寒くなったので日本列島を南下し始めました。でも、これからも仲間でいようとしてみんなで勾玉(まがたま)を持ちました。それを忘れないようにというのが天皇陛下の三種の神器の一つが八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)である理由です。勾玉を持っている人間同士は争わないでおこうという意味です。

 勾玉を持った人たちが「しらす」という国体を知っている天つ神(あまつかみ)です。天つ神が全国に散らばりました。それが今でも各地に遺る「ひだか」という名前の土地です。和歌山県にある日高市。岐阜県の飛騨高山等々枚挙に暇がありません。

 やっと話を戻します。国譲りを大国主命に迫った武甕槌命(たけみまずちのみこと)がなぜ、鹿島神宮という北の方に祀られているか。そして、東国三社とは一体どんな歴史上の役割をもつかを次回説明します。

誇るべき 我國日本の 豊かさを 豊葦原の 瑞穂の國よ

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このページは、宝徳 健が2025年4月24日 01:20に書いたブログ記事です。

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