平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10035通目です(後で数えなくていいように)
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
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祖父は、1904年の日露戦争のバルチック艦隊との日本海海戦の時に生まれていますので生きていれば百二十一歳じゃん!親父間違えたな!と思っていたら、数えで百二十二歳なんですね。明治時代はこれが当たり前だったので私の間違えです。すみません。
話はそれますが我が聯合艦隊とロシアバルチック艦隊の日本海海戦が始まる時に「旗艦 三笠」
から大本営に打たれた電文です。天才参謀 秋山真之が草案した文章です。
「敵艦見ゆとの警報に接し聯合艦隊は直ちに出動。これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し(現代文に翻訳しています)」
華美なことを嫌う当時の武士出身の海軍上層部は「本日天気晴朗なれど波高し」のところを「軍人が華美に走ってはいけない」と言ったそうです。
そしてこれが聯合艦隊司令長官 東郷平八郎(後の)元帥の書いた聯合艦隊解散の辞です。これも草案は秋山真之です。実は私の息子の名前はこの秋山参謀の名前からとっています。
この解散の辞の最後で「勝って兜の緒を締めよ」とあります。世界各国が(あの日本が大嫌いなセオドア・ルーズベルトまでも)がこの解散の辞を絶賛しました。素晴らしい内容です。官僚化された昭和の軍上層部は世界最強の帝國陸海軍をもちながら、日本を潰してしまいました。この言葉を忘れそして、慢心していたのですね。
さて、前回の続きです。前回は祖父の経歴を書きました。今回は、豪快な祖父の生き方です。親父が作った「寳德義一生誕百年歳」の本の内容を孫の私が一部編集しています。
玉川(福井県丹生郡玉川:寳德家の商売のベースです)小学校で同級生だった小泉熊造さんが語るお父さん(兄弟向けに書いているのでこの表現になってます)のお話です。
「頭のいい男でなあ、習字もうまかった。今もその習字が学校にあるのと違うか・・・」
県立小濵水産学校(福井県小浜市)を受験したとき、発表の前に寄宿舎に布団などの荷物が運ばれたというから、(父からみた)祖父母(寳德 寳四朗(ほうしろう:妻は、つる)は、合格という相当な自信があったのだと思います。
この写真は、若狭 小濵港 武藤写真館と書いてあります。何年生のものかはわかりません。
(健より:小浜市に武藤写真館はまだあります。当時はかなり画期的な技術だったそうです。今もあるのですが、どのような営業をされているかはわかりません)。
同窓会誌を見たことがありますが、相当なワルだったそうです(健の独り言:父はこの「相当の悪」という言葉が好きでした。私の中学の時も「こいつは札付きの悪でなあ」と親戚や知人に触れ回っていました。冗談ではない。あんな不良校で札付きの悪になんてなれるわけがない。確かに福教組の教師たちには逆らいまくって、母がなん度も呼び出しをくらってはいましたが。父は不良がすきだったのかなあ笑。父も朝鮮人百人と日本人10人とで大乱闘をして停学をくらっています)。
当時の寄宿舎は上級生と下級生が数名同室だったようで、お父さんが最上級生の時は、みんなピリピリしていたそうです。
卒業式のあと、練習戦で宴会があり、先生方は船に集まる。生徒は伝馬船で芸者者さんを練習船に運ぶことになります。(健の独り言:伝馬船とはこんなのです)
ここで、お父さんが主役として登場します。伝馬船を途中で(わざと)転覆させ芸者さんを海に放り込む。水産学校だからみんな泳ぎは上手だ。それを助けるのはお手のもの。
賄い征伐のことも書いてあった。「賄い征伐(まかないせいばつ)」とは食堂からご飯などを盗むことです。海軍で言えば「銀蠅」。これもお父さんが主役です。
ここからの文章は健です。
寳德家は、北前船を四隻もっていました。かなりの裕福な家だったようです。祖父母の法事を福井県丹生郡越前町玉川の(遠い親戚の)甚平旅館でやった時のことです。一族で、帰りにパス亭でバスを待っていました。するとあるお婆さんがやってきて「あんたら宝徳やろう。宝徳の顔や」とおっしゃったではありませか。息子が小学校中学年の頃ですから今から二十三、四年前です。次回は、裕福だったその寳德家が没落していくことを書きます。
この甚平旅館は魚が抜群にうまかった。いつも博多の魚ばかり自慢する姉が「認識変えるわ。福井の方が魚はうまいわ」と言っていました。
今日は祖父の百二十二歳の誕生日
です。ロシアの土の下でお休みのおじいちゃん誕生日おめでとう。おじいちゃんに会いたいなあ。おじいちゃんと一杯やりたかったなあ。
亡くなったと わかっているのに 舞鶴に 祖父を迎えに 行く父の意志
新聞に 拉致の名簿が 出るたびに 食い入るように 見つめる父が
ロシアにて 大地の下に 永遠に 眠るは祖父の 強い眼差し
もし生きて いれば四代 酌み交わす 酒のうまさに 思いを馳せて
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