三振(みふり)の思ひ出2(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)四月二十三日 水曜日)2

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  昨日の「三本の木刀」のタイトルを変えます。恥ずかしいばってん、刀は「振(ふり)」と呼ぶのが一般的だそうです。だから「三振」は「さんしん」と読むのではなく「みふり」と読んでください。歴史学者が知っていても絶対に絶対に言わない我が日本の本当の歴史です。

  息子が中学生の時、私に言いました。「父さん、いったい日本はいつから続いているの? 調べれば調べるほどすごい昔なんだけど」と言いました。彼の質問に答えようがないぐらい古いのです。歴史の発表では、五千年とか七千年と言われていますが、そんなものではないでしょう。少なくとも1万年はくだらないでしょう。

 我が国には、他国に文字がないときに「ホツマツタヱ」という文字数十一万字余りの叙情詩がありました。538年(「ごみや」で覚えましたよね)にそのままでは使えもしないただの暗号であった漢字が伝来したことなどそれに比べたらほんの最近のことです。

  授業で、縄文人は獣の毛皮を着て洞穴に住んでいたと教わりましたが、福井県の鳥濱貝塚などは、なんと14,000年弱の歴史を誇ります。それも8,200年続いています。一度行ってみてください。美しいそして物資豊かな三方五胡に囲まれ、もう織物をして、食文化も素晴らしい貝塚です。対人用の武器は我國の縄文時代からは一切発見されていません。福井県在住の方々で鳥濱貝塚の歴史を知っていらっしゃらない方が少ないのは、結局、日本の国は素晴らしい国だったと教えるのが嫌な歴史学者とそれに呼応したあ不埒な日教組と文科省です。

 私たちの小学生の頃はまだ素晴らしい教師も残っていました。そういう先生はほとんどが師範学校出身です。今の、教育大学ではなく。授業で地元の白地図なんかを使って地元の良き歴史も学びました。家の古さを調べようと、何チームかに分かれていろいろな家に聞いてまわりました。そうしたら百年以上前だと言われた家が一つや二つではありませんでした。みんなでびっくりして日本はすごいなあと思いました。先生はニコニコして私たちの発表を聞いていました。

 今は、地元の歴史など習わないですよね。家・地域・日本のことを教えると祖国愛につながるからと言って、正しいことを教えはしません。現在は自分たちが嘘の歴史を教えていることを知らない教師もたくさんいます。だから山川教科書などができます。文部科学省も推して知るべしです。
  さて昨日の続きなんですが。少し前置きを。

  我國 日本は、かつて、かなり暖かい温暖期でした。なので東北地方を中心に発展しました。かつてというか何千年前〜何万年前ぐらいに。

  その国が「高天原」=「日高見の国」です。あったのは事実ですが、どのくらい前なのかは私にも答えられません。例えば、青森県三内丸山遺跡というのが公称五千年前と言われています(そんなものではないと思いますが)。

  何万年も前に東北地方で縄文文化の日高見の国が花咲きました。世界最古です。豊かな国だったので食物を奪い合うことが一切ありませんでした。それが

奪い合って足りなくする欧米支那ロシアのような国ではなく分け合って余らせる国

になりました。世界で稀有な国です。海外からきた人々も、最初は争って奪おうと思っていましたが、これは争うより、分け合う方が得策だなと思いました。

 それが、昨日述べた「シラス」です。その頂点に立つのが、今でも世界最高の立憲君主国 我國 日本です。ふっつうの政体では、特に民主主義ではしばしば政治や国づくが乱れます。なので、特別な訓練を積んだ軍がそれを制します。戒厳令です。

 でも、その軍も乱れます。その時に、普段は権力を持たない立憲君主国の君主が命をかけてそれを抑制します。

 立憲君主国でなければ、他の国にとって変わられます(それが支那大陸です)。

 明治維新、五・一五事件、二・二六事件・大東亜戦争敗戦時などがそうです。

 何万年前からの国体「シラス」の考え方がそれを実現します。それを知らない日本人がかつての大東亜戦争の責任を天皇陛下に押し付けます。

これが国体を破壊する狂気

と言います。それに対抗するのが保守です。

 こういうことを言うとお前は右翼かと言われることが多々あります。

 冗談ではありません。右翼というのは天皇陛下と言っているだけで発想は共産主義者です。彼らがいうのは国家共産主義です。

 これも教育の荒廃がなせる業です。

 さあ、明日はいよいよ。日高見の国がその後どうなったかを申し上げます。

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このページは、宝徳 健が2025年4月23日 04:23に書いたブログ記事です。

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