三振(みふり)の思ひ出4(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)四月二十六日 土曜日)

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10037通目です(後で数えなくていいように)
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 昨日は行きました。110,243歩。うれしか〜。これは義務やなかとって。あと四十年生きる決意ったい。今日はくさ、かみさんが調子悪いとって。調子悪い時のかみさんはくさ、身体は弱っとるばってん、口は最高になると。何が最高になるとかは説明でけんったい。ばってん、一言。「やおいかんばい(どうにもできない)」。これだけはわかっちゃりいね。

 おっと、博多弁じじいの独り言やなかったばい。

 家の近くに、「みのり」というとても美味しい「持ち帰りお惣菜屋」さんがあります。体調の悪いかみさんの機嫌をこれ以上悪くしたらたまりません。朝も言ったんですけど、その時は、「いらないわよ!」と酷い子怒られかた。昼前にもう一回「みのりでなんか買ってこようか」と言ったら。「うん」とかみさんは言いました。素直になれよ笑。

 みのりの開店は11時からなので、この ブログを書いたら買いに行きます。しろしか〜(うっとおしい)。

 さて、日本の歴史ですね。
 その日高見国のあり方を唯一自分たちの歴史に遺しておいたのが、「皇室」なのです。でも、それ以降も悩みに悩まれました。そして、中世には権力を捨てて、権威だけを遺しました。でもでもでも、後白河法皇とか、後醍醐天皇とか、その歴史の振り返りをしない、上皇とか天皇がでました。それでも、皇室全体としてはそれを修正しました。そして

世界で唯一の立憲君主国

ができました。明治維新というのはその結果にすぎないのに、それを金科玉条のように語る人間もいます。

 皇室は、「日高見国」を忘れなかったのです。なので、今でも「大祓詞」にそれが遺っているのでです。


 奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)行っていてください。静岡県三島市の「三嶋神社」に行ってみてみださい。

 ちゃんと「瀬織津比賣(せおりつひめ)」と「速開都比買(はやあきつひめ」と「氣吹戸主(いぶきどぬし)」と「速佐須来比買(はやさすらいひめ)」という神がそれぞれ役割分担して、私たち国民が犯した悪さと消してくれます。つまり我國日本は太古の昔から
許すという世界では絶対にない

国なのです。この三注の神(神は柱と数える)が、必ず祀られています。

 東国三社というのは、鹿島神宮の「武甕槌命(たけみかずちのみこと:武の神様)」と息栖神社の「久那斗神(くなどのかみ):平和を愛する神)」と香取神社の「経津主大神(ふつぬしのみこと):武甕槌命を補佐した神」が祀られています。

 日高見の国を忘れない皇室が北方の守りとして祀りました。それが東国三社の意味です。鹿島神宮は素敵ですよ。入った瞬間にすごく精神が落ち着きます。鹿島神宮にある池は、入るとどの身長の人でも胸の位置までしかつからないそうです。入ったことないけど(笑)。武とはこんなに精神を落ち着けるものなのですね。

 皇室は常に地方豪族との「うしはく(すべてをしはいするやりかた)」との対決(極力対立はしない)でした。なので、何度も何度も地方に降り立ち、その度に天孫降臨、日本武尊、神武天皇の東征で我が国体「しらす」を普及してきました。やっとそれを実現したのが、神武天皇だったのです。

 では、次回は最終回。私の子供の頃に悪さと、日本の平和を無理やり結び着けます笑。

はるか昔 我國できて それが今 今だに遺る 最古の姿

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このページは、宝徳 健が2025年4月26日 10:21に書いたブログ記事です。

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