順読み超訳 大祓詞:しらす(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月六日 火曜日)2

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  ここから少しの間、大祓詞の文章をそのまま載せるのではなく、超訳をしていきますね。

  昨日の内容は「天つ神(しらすのこくたいを知っている日高見国の子孫)はみんなで話あって、天孫(天照大神の孫)を日本の統治を「しらす」を持って当たれ」と言いました。ここから皇室の果てしない戦いが始まります。皇室の歴史とは、常に、しらすを実現するための「うしはく(支配・所有する)」との戦いでした。

  そのために(ここからが今日)、国中にいる、うしはくをしている神たちを繰り返し説きました。どうしても説けない時には平定もしました(征服ではない)。

「そうすると岩・樹木・草木・魂(霊)にいたるまで静かに収まったので今までいた土地を出て、さらにしらす実現の障害となるものを取り除き、天孫降臨をなさいました」。

 「私」という字の「禾編:のぎへん」は食物です。「ム」は肘を曲げてその穀物を自分だけのものにしていくという意味です。人間は所有欲があるので、どうしてもこの「私」をやろうとしてしまいます。そして、「それが正しいのだ」と誤解します。これが「うしはく」の状態です。皇室が戦い続けた。

  天皇家は「公」です。この「ム」を一つ屋根の下「ハ」に治めてみんなで余らせる国にしようとしています。

 でも、それを妨げるのは敵だけではありません。皇室内にも国民にもいます。何年も何年もできれば武を使うことなく、工夫に工夫を重ねてしらすの道を探りました。今でも、口に出されませんがそうです。

 この本当の日本の歴史=憲法を知らずして、どうしてこの素晴らしい目的を持っている国をよくできるでしょうか?

 明日は、その「工夫に工夫を重ねて」のところを解説します。

永い永い 国体しらすの 挑戦は 終わることなき 未来への道

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このページは、宝徳 健が2025年5月 6日 02:18に書いたブログ記事です。

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