平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10130通目です(後で数えなくていいように) 今まで桁を一つ間違えていましたね。すみません。
このホームページをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
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昨日の歩数は14,613歩ったい。別に目標管理ばせんやったばってん、自然と言ったばい。習慣になりようごたある(なっているみたい)。距離にして8.5kmばい。今日は10kmを目指すばい。朝の散歩は楽しかね〜。今朝は10,054歩あるいたばい。距離にして 7.3km。あと2.7kmばい。歩行速度は5km /時。やっぱりくさ、一気に長く歩くと後半落ちるばい。朝、歩いとるといろんな発見があるし、いろんなことも思い出そうが。嬉しかったこと(happy)、楽しかったこと(enjoy)、びっくりしたこと(surprise)がいっぱいたい。だけん今日のブログはくさHESったい。
お天道様、今日もいろいろあるかもしれんばってん、
良か一日にするけん観とってください
1.親戚?のお兄ちゃんたち
北九州に行ってからやけん、小学校六年から中学校の間の話やね。今から四十年以上前の話ったい。すっかり忘れとったばい。俺はくさ、この二人が親戚のお兄ちゃんかどうかはわからんったい。知らんったい。母方の親戚は間違い中とって。それが、母の妹(すぐ下の叔母)の嫁ぎ先とか母の実家(秋武)の筋なのかは知らんったい、おそらく前者ばい。苗字は忘れたばってん齋藤やなかったかいな。その齋藤一族でとんでもなか、おっさんがおってくさ、すぐ暴れるったい。なんか親戚内で揉め事があってくさ、お袋が外出ば怖がったけん、おれがその頃はしょっちゅうボディガードで一緒に外出しよったと。俺に体力的な自信がついた頃やけん俺が中学二年の頃やね。
二人のお兄ちゃんがその齋藤とどげな関係にあるか知らんばってん、俺とは血のつながりがなかったと思うばい。ばってん、なんか知らんばってん俺にものすご優しくしれくれたとって。二人とも。家にもしょっちゅう遊びにいっとった。キャッチボールやらもしとった。上のお兄ちゃんが「よしと兄ちゃん」したが「かずのり兄ちゃん」ばい。なして思い出したかわからんばってん。
よしと兄ちゃんとはくさ、俺が出光興産株式会社に入って本社におった時に一回銀座で飲みにいったばい。よしとにいちゃんの会社の人と一緒に。明るか人でくさ、すぐに人を巻き込もうが。確か、福岡の西南大学やなかったかいな。
かずのり兄ちゃんはくさ、頭のよか人でくさ、中学・高校とずっと成績は一番やったとって。九州大学にいってくさ、確か鹿島建設に入ったと思った。こん(この)人とは、中学以来会っとらんばい。今、どげんしよっとかいな。会ってみたか〜。
人の縁は 切っても切れない ことがある つながる縁は かけがえないもの
受けた恩 忘れてならぢ 施した 恩はすぐにも 忘れるべきこと(母の教えです)
2.うーちゃんの話
中学三年間というかその後の中学浪人の一年間を通して四年間、とても仲の良いT君がいたとって。ニックネーム「うーちゃん」ばい。なして「うーちゃんや?」って。知らんばい。最初からそうやったけんたい。
うーちゃんはくさ、ちょっとひょうきんで、ケンカもそこそこ強くて(うーちゃんのお兄ちゃんは結構強かった)、ちょっとイタズラが好きで、明るくて、一緒のおって楽しかったったい。あるときくさ、授業時間中に前の席に座っとった、うーちゃんがくさ、突然、後ろの俺の方ば向いて、面白い顔をしようが。俺がその時にっこり笑ったらくさ、突然、(確か国語の)先生がくさ、「T!,お前なんばしよるとか!」げな怒るったい。そしてくさ俺んとこに来てくさ「宝徳、今、Tはなんばしたか言うてんやい」げな言うったい。俺は笑顔やったばってん心の中で「俺が友達ば先公に売るわけなかろうが」と思いながら「(忘れたばってんその時その先公が教えよった言葉ば出しながら)、今、先生が教えてくれたとが難しかったけん◯◯って、何ってT君は聞きよんしゃったとです。僕もよおわからんやったけん、先生、もう一度教えてください」げな言ったとって。そしたら黒板にもう一回書きながら説明しよった。うーちゃんは、ちょっとだけ後ろ向いて手を合わせて小さか声で「ありがとう」げないいんしゃった。
俺もうよこげなこと覚えとるわ。朝の散歩とブログのおかげやね。
それがくさ、高校に二人とも落ちたったい。俺の落ちた原因はこのブログに何回も書いとるばってん、うーちゃんはくさ、明らかに勉強不足ったい笑。ふたりでくさ、北九州市八幡区にある「北九州予備校八幡校高校進学コース」に通い始めたとって。同級生が同じバスに乗りよろうが。学生服の襟にくさ合格した学校の襟章ばつけて。俺たち二人は学生服に襟章がなかとって。格好悪かろうが(爆笑)。
そしたらくさ、次の日からうーちゃんが学校に出てこんくなったとって。三日連続休むとって。俺は心配になってくさ、次の日から早く家ば出てくさ、うーちゃんの家に行ったとって。うちの家はうらんしく(いやらしくない)なかろうが。「明日から家ば1時間早く出るけん」げな言ってもくさ「わかった」の一言ったい。日本男児に恥じることばせんとなんも言わんとって。うーちゃんの家の前に立ってくさ「うーちゃん、おはよう!迎えに来たよ。一緒に予備校行こう。自分に負けたら行かんって。早く出てきやい!」げな言うったい。ばってん、うーちゃんからは返事もなかとって。出てもきんしゃれんと(来ない)」。1ヶ月ぐらいやったとって。途中にうーちゃんの兄貴が学校行く時に俺と会うったい(当然)。兄貴は「ありがとな」と言って怖か顔で笑うとって。肩ば叩いてくれるとって。1月ぐらいたったときにお母さんに連れらて、うーちゃんが出てきたとって。お母さんは、「宝徳君、いつもありがとうね」と言っとったばい。うーちゃんが下向いとったけん、「おれはうーちゃんのあの弾けるような笑顔が好きったい」と言って予備校に一緒に行ったと。
俺は知らんやったばってん、お母さんが俺の家に来てお袋にお礼ばいったげな。お袋は俺が、そげんことしよるやたなんも知らんやったけん、おどろいとった笑。
3.博多仁和加
「うーちゃん、ちゃんと予備校ば行こう」
「宝徳、なしてそげんしてくれるとや」
「そらそうくさ、あんた「うーちゃん」と学校ば行かないかんたったい」
お粗末さま。
勝つことなど ほとんどないのが 人生で たくさん負ける ことを少なく
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