平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,217通目です(後で数えなくていいように)。う〜ん、今年の二月 二十七日が1万通まであと111通でした。四月晦日が10,048通。それから五月が85通で、六月が、これまで83通だから、10,048通+85通+83通=102,16通だ。だからこのブログが10,217通だ。ルーティンとは面白い、数え間違えると一から数え直し、一日忘れると一から数え直し。いいなあ、自分の今の未熟さを教えてくれているようです。これでわかったから明日からこれね笑。ばってん、また間違えたらやり直し〜笑。宇佐美の親父さんが「いつもおなじようにやれ」と言っていたのがよくわかります。
明日から数学と量子力学とそれに負けたくない数学の首ドンぱちを書きますね。とても美しいどんぱちです。学問は美しいなあ。「俺はこう思う!」って、その美しさに逆らっているから人間社会は醜いのかも。古代からどの学問も人が突き詰めていくと「哲学」になります。つまり、真実は一つのコナンくんみたいに。
フィボナッチ数の歴史は、実はインドから始まります。
- 韻律(詩の脚韻)の研究: インドの詩人や学者たちは、サンスクリット語の韻律(特に長音と短音の組み合わせ)を研究する中で、この数列にたどり着いたとされています。特定の音節の組み合わせの数を数える際に、前の二つの組み合わせの合計が次の組み合わせになるというパターンに気づいたのです。
- ヘーマチャンドラ (Hemachandra): 特に、12世紀のインドのジャイナ教の学者であるヘーマチャンドラが、韻律の研究においてこの数列を記述したことが知られています。彼の著書には、後のフィボナッチ数と同じ数列が登場します。他にも、もっと早い段階で他のインドの数学者たちが言及していた可能性も指摘されています。
レオナルド・フィボナッチと『算盤の書』(13世紀初頭)
レオナルド・フィボナッチは、本名をレオナルド・ピサノ(Leonardo Pisano)といい、イタリアのピサ出身の数学者です。彼は、当時のヨーロッパで主流であったローマ数字ではなく、インド・アラビア数字のシステム(位取り記数法など)が非常に優れていることを認識し、それをヨーロッパに広めることに尽力しました。
- 『算盤の書』(Liber Abaci): 1202年に出版された彼の著書『算盤の書』は、その名の通り「計算に関する書」という意味で、インド・アラビア数字の計算法をヨーロッパに紹介する画期的なものでした。
- ウサギの問題: この『算盤の書』の中で、フィボナッチは有名な「ウサギの問題」を提示しました。
- 「1つがいのウサギは、生後2か月後から毎月1つがいのウサギを産み、ウサギは死なないものとする。このとき、生まれたばかりの1つがいのウサギは、1年後に何つがいのウサギになるか?」この問題の解答として示された数列が、現在「フィボナッチ数列」として知られているものです。彼はこの数列を発見したわけではありませんが、この本を通じてヨーロッパにこの数列を広め、彼の名が冠されることになりました。
3. その後の発展
- ルカ・パチョーリ: 15世紀末のイタリアの数学者ルカ・パチョーリは、レオナルド・ダ・ヴィンチの協力のもと、『神聖比例論』を著し、黄金比とフィボナッチ数の美学的・幾何学的側面について論じました。
- ヨハネス・ケプラー: 17世紀初頭のドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、植物の成長におけるフィボナッチ数の出現に注目し、その普遍的な性質を論じました。
- エドゥアール・リュカ: 19世紀のフランスの数学者エドゥアール・リュカは、フィボナッチ数列やその一般化であるリュカ数列について体系的な研究を行い、現代のフィボナッチ数の理論の基礎を築きました。
このように、フィボナッチ数は、単一の人物が「発見」したというよりも、人類が様々な文化圏で独立してそのパターンに気づき、そしてレオナルド・フィボナッチがそれを広く紹介したことで、その名が定着し、後世の研究者たちによってその奥深さが解き明かされていったという歴史を持っています。
人間って素敵ですよね!!! その素敵なことがいっぱい重なり合えばいいのに。自分のエゴですべてを破壊するのは人間なのかもしれませんね。
もっとすごい世界を明日から。
数学は この世の世界の 美しさ それ否定する 人間のエゴ
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