平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,181通目です(後で数えなくていいように)。このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。
子供の頃、父と母は、自分たちが十分な教育を受けられる状態ではなかったので、学校を休みことは絶対に認めませんでした。「熱があってもはってでも学校に行け」と言われました。それほど国家の教育は百年の計であったのを知っていたのですね。父母は両方昭和一桁生まれです。
でも、事情違ってきました。
息子が小学校の時の事件をお伝えします。
まだ私が出光興産株式会社のサラリーマン時代でした。なんでか覚えていませんが、昼間にいえにいたんですよね〜。ほとんどありませんが。
その時に、学校から電話がありました。かみさんが、買い物かなんかに出かけていたので、その電話を私が取りました。息子の学校に担任の先生です。
先「今日、宝徳くんが学校で喧嘩をしました」
私「そうなんですね。っで、あいつは勝ちました?負けました?」
先「えっ?」
私「いちいちそんなことを連絡くださらないで結構です。彼は今、学校で社会生活を学んでいます。そういうこともあるのは当然ですよね」
先「では、お宅には、こういう情報は入りませんよ」
私「結構です。息子から聞きますから。先生、私たちの時代には全国で一学年260万人の生徒がいたんです。息子の世代は120万人しかいないんです。彼ば私と同じ能力に育ったら、我が国は半分以下の国力になってしまうんです。それを考えた教育理念になっていますか? 次の個人面談から、妻ではなく私が行きます」
で行ったら先生ビビりまくり笑。
それともう一つありました。
担任の先生が小学生に文句を言われたからといって心を病んだかどうか知りませんが、長期入院になって担任を外れたことがありました。
身近にいる重要な大人が子供に人生で負ける姿をみせた
のです。こんなバカなことがありますか? どんなに負けてもがいてもそれを脱しようとする姿を子供達はみています。自分がこう言う目にあったらどうしようと。それを逃げる姿を見せる???? なんで教師になったの?
こんな先生に教育なんてできるはずがありません。
石破が、「学校を休むことも必要な場がある」と発言をしました。石破が管轄している教育の完全否定です。「私はくだらない教育を作っているから学校をやすんでもいいんじゃない」と発言しています。国家百年の大計 教育を。
なら、教育の場である、国公立を全て廃止した方がいい。文科省も廃止した方がいい。廃止から出てくるお金で真に優秀な子供に私学に行く給付型の奨学金を作った方がいい。どれほどいいか。江戸末期には適塾を始め私学の優秀な民間学校がたくさんありました。それでも十分すぎる教育がなされました。
庶民の家には数学の教科書「塵劫記」が各家に一冊あり、さらに神社では、境内にもっと難しい問題を掲げ庶民は必死になってその問題を時ました。
本を読み、古典を読み、手紙を書き、数学を知る。これが民間でなされていました。官は不要です。教育現場においては。防衛? 士官学校がいるかもしれませんが、かつての帝国海軍のようにハンモックナンバーという官僚づくりの制度は不要です。武士の社会の勉強をすればいい。
行政は(大嫌いですが)アメリカのように、政権がかわったら一斉にそう入れ替えがいい。政権には実業界から優秀な経営者をいれる。
そしてひとつだけ義務付けるのは古事記などの本当の日本の姿を学ぶことです。
「行きたくて行きたくて仕方がない学校」を作るのです、為政者が「学校なんて行かなくてもいい」という学校を作るのではないのです。
給食? 瑣末な問題です。
石破は為政者失格です。
学舎に めぐれる月日 友垣と 集い重ねる 私学の元で
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