博多弁じじいのつれづれぐさ:標準語編(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月六日 金曜日)4

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    昨日(6月5日)は、12,136歩 8.3kmでした。 お天道様、今日も何があっても良い日にするから見ていてください。 朝、歩いていると、武庫川にある「延喜式内 岡太神社(おかしのみやぐう)」を発見しました。住宅街にひっそりとありました。また今度詳しく書きますね。一つだけ。 「延喜式(えんぎしき)」というのは、平安時代中期に編纂された、日本の律令(りつりょう)国家の法典の一つです。特に、律令の施行細則(しこうさいそく)をまとめたものです。 延喜式は、平安時代の国家制度とか人々の生活を理解するために、欠かせません。歴史的文献です。「内」というのは、その中にあるという意味です。

   今日は、私の小学校時代の恐怖体験を語ります。 

 小学校六年生の初めに転校してきた私は、この街とかこの学校とかがどんな学校か分からなかったです。だから、最初は結構自由奔放に暮らしていました。しかし夏を過ぎて、この街ではそんなことは絶対に許されないことだと気づきました。ある事件を境に。

 次に私がプールに行ったら、OOI君が私のところに来て「おーい、喧嘩の強い人~。ちょっと顔貸せ」と言って、私を汚い外にあるトイレに引っ張り込みました。OOI君一人だったのが、いつの間にか少なくみても20人OOI君の仲間がいました。「しまった」と思いました。それから20人は手を出さなかったけれど、OOI君が、私のことをボコボコに何発かわからないぐらいに、殴りました。今考えたら、OOI君も、この喧嘩を一対一ですることが怖かったのではないでしょうか。だから20人も連れてきたのでしょう。私たちの時代にこの喧嘩の仕方はありませんでした。20対20はやったことがありますが、そんな人数とどうやって喧嘩をしたら、こちらもあちらも怖くて、失禁して喧嘩にならないので、結局、番長同士の対決になります。

格好悪いけれど、私はそのとき、土下座をしました。謝りました。殴られました。顔がボコボコになりました。「お父さん、お母さん、今日は生きて帰れないかもしれません」と10回以上は思いました。なんとか家に帰ったら、姉と妹は真っ青でした。姉がどうしたの?と聞きました。私は「階段で転んだ」と言いました。そんなわけはないのに。負けたとか言ったら、お袋が「もう一回やってこい」と言うから言えませんでした。親父とお袋は知らんぷりでした。学校に言う?なんで他の生徒をあの腐れ切った日教組の先公に告げ口しないといけないんだ。

けれど、その告げ口しなかったのが、OOI君に認められたみたいでした。けれど本当に怖かった。私の人生で「ああ、今日は生きて帰れないかも」ということはその後も何回も起きました。かわいそうでしょう(笑)? これが第一回目です。まあ良い経験です(笑)。人間は、恐怖を味わったら、そのことに関しては次からそれ以上の恐怖には感じない生き物です。

二週間 ボコボコ顔が 引く前は また宝徳か 女生徒騒ぐ

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このページは、宝徳 健が2025年6月 6日 08:11に書いたブログ記事です。

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