平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10144通目です(後で数えなくていいように)
このホームページをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
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海外の古典を読んでいると「なぜ、こういう感覚のことが起きるんだろう」と不思議でならないことがありました。過去形で書いたのは若い頃はそうだったからです。今は、「そうだろうな」と言う感覚になります。例えば、三国志演義(日本で言われていて漫画にもなっている三国志)ではなく、本来の三国志を読んでいると、「こう言う仕事があるので妻と別れた」とか「妊婦の腹を引き裂いだ」とか拷問のたぐいばかりではなく、孔子さえも大好物は人間の肉だったとか、籠城を余儀なくされ腹が減った時には子供を交換して食べたとか、劉備玄徳が戦に負けて落ち延びて、民家にかくまわれて美味しい肉を食べて、これはなんの肉かと聞いたら何もないので、その家の女房を殺して差し出したと聞いて劉備玄徳がそこまでしてもてなしてくれるのかと感動の涙を流したり、諸葛亮孔明が馬謖(ばしょく)を殺した時、泣いてしまったのが嬉し涙だったり。支那の古典を貪り読んでいた時期だったので私には、これらのことが頭に入ってきませんでした。メディアが絶賛した(特に朝日新聞が)毛沢東の文化大革命など全く意味がわかりませんでした。自国民を一億人以上殺したり、子どもが親のことを密告して英雄になったりしたんです。
欧州の童話もそうです。ラプンチェルや白雪姫やヘンゼルとグレーテルなど、原文はまるでセックスマシーンです。
菅原道真は遣唐使を廃止しました。理由は人殺しばかりしている支那大陸にはもう学ぶものはないからです。日本は支那から離れました。すると平和国家の平安文化が花咲きました。一千年前に女性たちが小説を書いたり和歌を詠んだりしました。
割愛しますが、アメリカもサンクスギビングディなんて嘘八百です。独立戦争なんて大東亜戦争時に阿川弘之が戦犯山本五十六を美化したものなんて赤子のようです。リンカーンのゲティスバーグアドレス? よく言います。彼は自宅に三千人の奴隷を「飼って」いました。
私は昭和五十八年(1983年)に親友と支那旅行を個人でしました。その時に支那共産党は貧しく、リーダーも胡耀邦や趙 紫陽だったのでまだ親日でした。
でも、それが一気に崩れたのが天安門事件なのです。
昭和三十九年(1969年)六月三日の夜から四日にかけて、支那人民解放軍は民主化を求める学生や市民に対し洗車や装甲車に実弾発砲をしました。TVでこれを観ていた私は、「自国軍が自国民に発砲」することが信じられませんでした。彼らは支那軍ではなく、支那共産党軍です。日本では、五・一五事件や二・二六事件は、為政者に対しては暴力を振るいましたが、国民に対してはしていません。これも立憲君主国という政体が解決してくれました。
支那大陸では、その後、なんと一般市民にも攻撃し始めたのです。
この事件で支那は世界から総スカンを食いました。その時、馬鹿なように登場したのが宮沢喜一です。
なんと、天皇陛下を訪中していただいたのです。陛下は憲法「典」にある内閣の助言により動くことに異を唱えたりは絶対にしません。
神話の国から歴史が連続した人間社会の国 我國日本は 世界の序列一位です。皇室が決めた外交問題に他国はいまでも口を挟めません。例えば昭和帝の大喪の礼(たいそうのれい)には、どの國も日本が決めた席次に文句が言えませんでした。
その天皇陛下が支那共産党行かれると言うことは日本が支那共産党の罪を帳消しにしたと(朝見外交)をしたことになるのです。支那共産党を潰す絶好のチャンスを宮沢喜一はぶち壊しました。何が平成の高橋是清だ。へそが茶を沸かします。
さあ、天安門事件から三十六年経ちました。支那共産党はこれを美化しています。
こんな国に何を気を使うのだろうか。
まともになろう まともになろうと する支那は 人を殺して 言論封じる
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