経済とは國の身体そのものです。身体が強く大きければ、それに合わせて服を買います。自分のできることできないことが決まってきます。つまり、経済が國の身体そのもので、法律や防衛や福祉や外交などは、衣服や道具でしかないのです。明治の男たちはこれに気づきました。だから「富国強兵」という政策を打ち立て國家を守りました。というか、そうしないと國が潰れてしまうということに気づいたのです。今の日本でこれに気づいて愚痴を言わずに手を打っている人はどのくらいいるでしょうか?
戦前、我國には共産主義が跋扈(ばっこ:のさばること)しました。経済政策を失敗して貧しくなるとこうなります。敗戦後にも、我國には共産主義革命が起きる危機がありました。もし、池田勇人がいなければその可能性がありました。國民は、貧しいといろいろな思想に走ろうとしますが、経済を成長させるとそんな馬鹿げた思想などにかぶれるよりも働いてどんどん伸びる給料をもらった方が得をすると判断します。これが経世済民です。江戸時代にも昭和にも平成にも令和にもこのマクロ経済がわかっているリーダーは、萩原重秀、田沼意次、池田勇人、小渕恵三(人気がなかったけど良い総理だったの。早逝したのが惜しまれます)、安倍晋三しかいません。あとは、みんな緊縮財政か、インフレ時にインフレ政策をとる愚か者か、結果としてのミクロ経済に対策を打つ者ばかりです。さあ池田勇人をシリーズで解き明かしましょう。
池田勇人(第60代内閣総理大臣 首相在任期間:昭和35年(1960年)7月~昭和39年(1964年)11月)が、日本を世界一豊かな國にしました。かつて日本は「一億総中流社会」を実現しました。資本主義の國として理想の姿ですが、それさえもメディアは否定しました。「ワーカホリック(仕事中毒)」とか「日本人の家はうさぎ小屋」だといって。先鋒を切ったのがいうまでもなく國賊 朝日新聞です。
1.成功要因①
池田勇人は、日本の経済力を熟知し、何をどうしたらいいかがわかっていて、それを全部実行できた強い総理大臣でした。我國は、敗戦國です。親会社のようになったアメリカは、乗っ取った子会社 日本を潰すつもりでGHQ(占領軍)という愚かな連中を経営陣として送り込んできました。GHQの社長であるダグラス・マッカーサーなどは米國では何も相手にされない人間です。池田勇人は、そんな理不尽極まりないGHQの要求を飲みながら、1ドル=360円の固定相場だけは認めてくれるよう懇願します。だいたい1ドル=300円ぐらいが適正だったのをなんとか認めさせました(これがアメリカの好意でなったというメディアばかりです)。1億ドルものを海外に売って300億円になるのと360億円になるのとでは、儲けが60億円の差になります。売れば売るほど儲かります。
ちなみに教育勅語が廃止されるとき日本側は「これは危険な思想ではなく、立派な日本人を育てるための道徳だ」と懇願したら「じゃあ廃止しよう」となりました。立派な日本人など邪魔なだけだったのです。この為替レートでも、他の交渉要因で抵抗していたら認められていなかったかもしれません。一点突破でこのレートを池田勇人は通しました。当時は金本位制です。政府の発行する通貨は金と交換できます。なので、政府は金の保有量に合わせてお金刷ります。金の保有量に合わせてアメリカがお金を刷ると、1ドル=360円で固定されているので、円もまた刷らなければなりません。360円分紙幣を刷るのと、300円分するのとでは、まったく違います。貨幣供給量の増加というマクロ政策です(金融緩和)。さあ、ここに抵抗勢力が出てきます。日銀です。つづく
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