博多弁じじいのつれづれなるままに:感謝小学生編(皇紀弐千六百八十五年 令和七年六月四日 水曜日)2

| コメント(0) | トラックバック(0)
平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10142通目です(後で数えなくていいように)
このホームページをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenr

  昨日は10,410歩 6.2kmったい。昨日は西宮も雨がすごかったとって。ばってん習慣で歩かな気持ちが悪いごとなっとるけん、昼間歩いたとって。そしたら凄か風雨ばい。3,000歩まではくさ、水も滴る良い男ったい。六千歩で濡れ鼠。八千歩までは歩いたばってん、もち一万歩まであるいたら土左衛門になりそうやけん家に帰ったったい。あと二千歩ったい。そげんしたらくさ、夕方になったら雨があがろうが。だけん、あと二千歩歩いたとって😤。今日は今から歩くばってん、それは七千歩5km(最近5kmを7千歩であるける)でいいとって。昼と夕方に千五百歩ずつか仕事が立て込んどったら夕方に3千歩ったい。3千歩やったら20分で歩けるけんね。外での仕事の時にはくさかなりあるいとちゃね。それに工夫すれば一万歩はいくばい。

お天道様、今日もどげんことがあっても良い日にしますけん観とってください

 俺は今まで、たくさんの人からいろんな恩恵ば受けてきたったい。ばってん、それば社会に返しとらんとって。お袋がよういいよった。「人から受けた恩は忘れてはいけません。人にした恩はすぐに忘れなさい」げな。

 だめやねえ。俺はくさ、これまで悪いこともしてきた。人を傷つけたこともしてきた。間違ったことをして失敗したこともしてきた。受けた恩をまだ(その人だけではなく)社会に返しとらん。だけん、これから108歳までの俺の人生は贖罪ったい。その贖罪を背負ってやりなおしったい。だけん

たけしTAKE2

やとって。TAKE2っていうとは、TVドラマとか映画とかでくさ、俳優さんが失敗したら取り直そうが。その時のま一回(もう一回)取り直しのことをTAKE2げな言うとって。ひとつひとつ返していってくさ108歳で108個の煩悩を全部消すと。交通事故にあってからはくさ、それまで108歳まで生きようと思うとったことがくさ、体力が極端に落ちたったい。だけん自信がなくなったと。ばってん、最近、歩き始めて体力が元にもどりよろうが。ま一回挑戦ったい。108歳の誕生に、近くにいる人に感謝のご挨拶ばしてくさ、108歳の誕生日の朝、命を閉じるったい。それまで目的と目標は五月二十八日のブログ記事ば読んじゃりやい。

 前置きが長くなったばい。今日の感謝はくさ、かみさんと、こん(この)人がおらんかったら俺の人生はどげんなったとわからんぐらい世話になった小学校時代の二人の先生のことば書くばい。俺の小学校の時には、日教組のどんぐされ先公もたくさんおったけど、まだ、まともな先生もおったばい。
1.かみさんの誕生日
 今日はくさ、かみさんの誕生日ったい。いろいろあるばってん、やっぱり一番感謝せないかん人ったい。彼女が二十四歳の時結婚ばしたけん、四十年弱の年月が流れたとって。ものすごいい子の息子ば産んでくれたろうが。家事も完璧。喧嘩もするばってん、彼女しか喧嘩をする相手がこの世にはおらんばい。感謝やろうが。それ以上もそれ以下もなかと。

2.原田先生
 中学校一年生の時の担任の先生ばい。あのどんぐされ日教組の先公のなかで数少なか立派な先生ったい。実は、俺は、中学一年生のときにくさ、日教組の先生(原田先生やなかばい)にしらけてしもうて逆らいまくったったい。勉強も学年でトップクラスやったとが、二学期の中間テストで100番にまで落ちたったい。家ではくさ、「あなたはこんな成績を取る子ではないのよ」と涙をこぼしたったい。お袋は俺が日本男児として恥ずかしい行いばせんやったら絶対に怒らんやったばってん、お袋に涙を流されたら男として恥やろうもん。

  母も同じ中学出身ったい。学年で一番やったとって。ばってん、高校受験の朝、祖父と祖母から「通ってもお金がないから今日は受けないでくれ」と言われたげな。なかなか受験に来ん、お袋ば心配して学校の先生が迎えにきたとって。「秋武(母の旧姓)!まだ間に合う!先生の自転車に乗れ!連れていくから!」と家の前で叫んだげな。お袋は、風呂桶に隠れて泣いとったとって。祖母が先生のところに行ってくさ「汎子(母)は今出かけております」と言ったげな。だけん、どげな理由があろうと勉強がでけんよりましやろといつも思とったとって。ばってん、勉強しなさいとか言われたことはなかよ。

 その成績発表の次の日に学校に行ったらくさ、担任の原田先生に「放課後理科室(原田先生は理科の先生やった)に来い」げな言われたとって。「あ〜がらるる(怒られる)ばい」と思っていったと。そしたら原田先生がワンワンないて言うとって

「悪いことはいい。ばってん出来るとにうやらんやつは卑怯や!お前はそんな卑怯なに人間か。先生たちが卑怯やけん、お前まで卑怯な人間になるとか」

を何回も繰り返し2時間ぐらい泣いとるとって」。大好きな先生にこげな思いばさせたらいかん。男の恥ばい」と思ったと。期末テストでは順位(順位が大切なんやないばってん意地ったい)を戻したばい。この先生がおらんやったら俺はぐれとったかもしれん。

3.高橋一三先生
 当時、巨人軍に高橋一三げな名前の投手がおったろう。確か左腕ばい。その投手と同じ名前ったい。この先生はくさ、すぐに痛いゲンコツばするとって。笑顔で。小学校の四年生の担任の先生ったい。四年生の初日にくさ、おちゃらけでお調子もんの俺が授業中にふざけとっとったと。そしたらくさ、高橋先生の強烈なゲンコツをいただいたとって。家に帰って? 言えんばい。そげなといったらくさ、「お前が悪かけん戦線がゲンコツばするっちゃろ」げな言ってまた親父からゲンコツもらうばい。それにそげなことで大好きな先生ば親に売らんって。

 次の日からくさ、俺はビシッとしたったい。これも俺の本来の姿ばい。偏差がすごかとが俺ったい。そげんしたらくさ高橋先生が「お前、すごいなその変化。それがお前か」げな褒めてくれるとって。それから父兄懇談の時もそれを母に言うったい。

 五年生の時に、福岡県に転校することになったときに(春休み)、高橋先生(もう担任ははずれていたが)が、ちょっと学校まで出てきてくれげなおっしゃるったい。学校に行ったらくさ、これをくれたと。

 先生はくさ、御殿場に住んどるとにわざわざ安倍川に行って石ば採ってきて磨いてニスで塗ってくれて。土台ば作ってこの文を書いてくれたと。全部手作りばい
宝徳君(静岡・安倍川の石)
「玉みがかざれば光なし 人学ばざれば道を知らず」
※古代支那の書物『蒙求(もうきゅう)』にあることばったい。唐の時代に李瀚(りかん)が編纂した児童向けの歴史物語集で、古今の人物の逸話や故事を対句形式でまとめたもの。この言葉は、学問や修養の大切さを説くものとして、日本でも広く知られるようになりました。

 俺の宝物ったい。まだ家にあるばい。一生の宝物!!!

たくさんの 方からもらった その恩を 未だ返さず 未だ返さず
感謝合掌

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10031

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年6月 4日 06:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「愚かな「年金制度改革法案修正」3(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月四日 水曜日)」です。

次のブログ記事は「博多弁じじいのつれづれなるままに:標準語編(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月四日 水曜日)3」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。