なしてこげんことば思い出したとや??? 小学校のときにくさ、校庭の裏庭でバレーボールばしよったったい。当時は、オリンピックで男女ともバレーボールが強かったろうが。子供たちの間でも盛んに行われとったったい。バレーボールをばしとってくさ、ボールが転がってくさ、よおと(よく)見るとそこにマンホールがあったったい・・・・。もう時効やけんよかよね?もう四十年以上前ったい。
あっ、よかこと思いついたばい。この物語はくさ、フィクションげないうことにすればいいったい。そげんったい。
5名でマンホールの底に降りてくさ、ごっつい狭い平行の管を匍匐前進(ほふくぜんしん、腹ばいになり、手の力だけで前に進むこと)で、数十メートル先の、 自衛隊基地まで進みんだとって。今考えると危険ばわまりないばい。崩れとったら、俺たちは今日まで発見ばされんと、遺骨のないお葬式ばだされとったばい。 あんなことろに小学生がいるやら誰も考えんけんね笑。
わ それでも、なんとかくさ向こう側の基地に到着したったい。柿や栗は目の前ばい。5人のうち誰か覚えとらんばってん、隊長になってくさ、「伏せ」「突撃~」げな言って柿と栗ば目指したとって。その瞬間「こら~~!!!」げな言う巡視兵の声がしたと。
「お前ら、どっから入ったとか???!!!」。兵隊さんはくさ、なして、ここに小学生がおるとかまったくわからんめいが。わかるはずのなかろうが。俺たちの 柿・栗作戦は失敗に終わったったい。
げないっとる場合じゃなかとって。 本部まで連行されたとって。巡視兵を先頭に、5名が引き連れられて。そのとき、俺の年の近かとっても俺をかわいがってくれた叔母(洋子姉ちゃん)が、自衛隊に勤めとったっちゃん。俺たちが連行されるとをたまたま見てくさ「あ~、小学生も基地を見学できるっちゃね~、今度、たけしちゃん(俺のこと)に教えてあげらないかんね」げな思ったげな。
基地本部に連行されたとって。恐いおっさんが、確か4名くらいで取り調べしたと。「どこから入った?」「お父さんの職業は?」「住所は」「学校は?」「学年は?」と矢継ぎ早に質問が飛んでくるったい。
5名の中にはくさ、自衛隊の幹部(三佐:昔の少佐)の息子が2人いたと。「お父さんの職業は?」と聞かれたばってん、その2人はなかなか答えんかったと。取調官の方から「もしかしたら、きみたちは、○○三佐と、○○三佐の息子さんか?」と聞きいたと。「はい・・・」。取調官は、「わざわざ忍び込まなくてもお父さ んに言えば見学できるじゃないか?」と泣きそうな顔になりました。
その後も厳しい取調べが続きました。「親に言うぞ」「学校に言うぞ」と脅されました。あまりくさ脅されるのけん、おれが思わず「小学生に侵入される基地の方が問題があるんやなかとですか?」げな言ってしまたったい。言ってからくさ、「しまった!!!」げな死ぬほど後悔したとって。ばってんもう後の祭りったい。 このまま自分の人生は終わるとげな本気で思ったったい。
ものすごしかられて、あ~、明日から、もう学校には行けんばい、家でもきっと勘当させられるばい。もしかしたら、銃殺刑に処せられるかもしれんばい(これも真剣に思ったと)げな考えてくさ、とぼとぼと夕方帰宅したのを覚えとると。ばってん、自衛隊からじゃh学校にも通達がなかったとって(当然ばい。小学生に侵入される基地げな、軍事基地やなかけんね)。
当時は、何事もなくビビリながらホッとしたとって。ばってん、親には・・・と思いくさ、親に言ったらくさ、思いっきり笑いよろうが。俺の両親は親はそげな人ったい。
特に母親はくさ、 俺の姉が長男を生んだときのアドバイスが「男の子はその日のうちに生きて帰ってくればそれでいいのよ」だったとって。(本当はとても心配やったろうばってん、男の子の育て方ったい。ばってん親になってからくさ、どれほど苦しいわかりばい。今でも姉貴にこのことはよう怒られるばい)。
なして、今日、久しぶりにこげなことば思い出したかはわからんばってん、、俺はは自分の子供時代を振り返ったらくさ、「よう今まで生きとったな~」げな思うことがたくさんあるばい。みんなもそげんやろ?勉強はとりあんまりせんやったばってん、いつも野山・海を駆け巡っとったばい。
心配を我慢して、枠に縛らず、のびのびと育ててくれた親に感謝です。
好奇心 ああ好奇心 好奇心 お前はなして 俺たちさそふ
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