博多弁じじいのつれづれなるままに:標準語版(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月五日 木曜日)3

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10148通目です(後で数えなくていいように)
このインビュー記事をお読みくださると私の今の仕事がよくわかります。
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  昨日は14,400歩でした。距離は10.6kmです 。 このブログのタイトルについて、久しぶりに少し解説します。皇紀から書いているのは、「世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国、我が国日本」を称えています。今、皇紀何年か、今上陛下が第何代かも知らない日本人が多いですよね。

 次に書いているのが「元号」です。元号は、世界で日本にしかないのです。だから、日本人なら元号と漢数字(西暦を数字)、月日漢数字の順で書かなければなりません。それが官庁も守っていないではありませんか。悲しいですね。

  西暦を書くことによって、その元号を後から調べなくてもいいでしょう。でも令和は分かりやすいです。令和の年号に018(れいわ)と入れたら西暦の下二桁になるでしょう。

  その次が曜日です。過去記事を検索することが多いので、書いていなかったらその日が何曜日か調べないといけないでしょう。という意味です

 お天道様、今日も何があっても良い一日にするから見ていてください。

  1. 航空自衛隊芦屋基地不法侵入事件
(この穴はあとで何かがわかります)

航空自衛隊芦屋基地 画像 に対する画像結果
  どうしてこんなことを思い出したのでしょうか?小学校の時、校庭の裏庭でバレーボールをしていました 。当時は、オリンピックで男女ともバレーボールが強かったので、子供たちの間でも盛んに行われていました 。バレーボールをしていて、ボールが転がって、よく見るとそこにマンホールがありました... 。もう時効だからいいですよね?もう四十年以上前です 

 あっ、いいこと思いつきました。この物語はフィクションということにしてしまえばいいのです。

   一人の友達が何気なく、そのマンホールを開けました 。その時は、ふーん、とみんな思っていました 。しかし、次の日、そのマンホールを覗いた友達が「宝徳、あのマンホールの底を覗いたら、隣の自衛隊まで続いているんだよ。自衛隊の基地まで行ってみない?」と言いました 。

  何人かに声をかけて、決死隊が5名で結成されました 。小学校の隣が自衛隊芦屋基地で、私たちは、ずーっと、柵越しの向こうにある柿や栗を採って食べたくて仕方がなかったのです 

   5名でマンホールの底に降りて、すごく狭い平行の管を匍匐前進(腹ばいになり、手の力だけで前に進むこと)で、数十メートル先の自衛隊基地まで進みました 


今考えると危険極まりないです 。崩れていたら、私たちは今日まで発見されず、遺骨のない葬式を出されていたでしょう 。あんな所に小学生がいるなんて誰も考えませんからね(笑)  

  それでも、なんとか向こう側の基地に到着しました 。柿や栗は目の前です 。5人のうち誰か覚えていませんが、隊長になって、「伏せ」「突撃~」と言って柿と栗を目指しました 


その瞬間「こら~~!!!」という巡視兵の声がしました  「お前たち、どこから入ったのか?!」 兵隊さんは、どうしてここに小学生がいるのか全く分からないでしょう 。分かるはずがないでしょう 。私たちの柿・栗作戦は失敗に終わりました 


 なんて言っている場合ではありませんでした 。本部まで連行されました 。巡視兵を先頭に、5名が引き連れられて 。その時、私の年の近い、とても私を可愛がってくれた叔母(洋子姉ちゃん)が、自衛隊に勤めていたのです 。私たちが連行されるのをたまたま見て「あ~、小学生も基地を見学できるんだね~、今度、たけしちゃん(私のこと)に教えてあげないといけないね」と思ったそうです 

 基地本部に連行されました 怖いおじさんが、確か4名くらいで取り調べをしました 

「どこから入った?」「お父さんの職業は?」「住所は?」「学校は?」「学年は?」と矢継ぎ早に質問が飛んできました 。 


 5名の中には、自衛隊の幹部(三佐:昔の少佐)の息子が2人いました 。「お父さんの職業は?」と聞かれましたが、その2人はなかなか答えませんでした 

  取調官の方から「もしかしたら、君たちは、○○三佐と、○○三佐の息子さんか?」と聞きました 。「はい...」 。取調官は、「わざわざ忍び込まなくてもお父さんに言えば見学できるじゃないか?」と泣きそうな顔になりました 。 

 

その後も厳しい取り調べが続きました 。「親に言うぞ」「学校に言うぞ」と脅されました 


あまり脅されるので、私が思わず「小学生に侵入される基地の方が問題があるのではないでしょうか?」と言ってしまいました 。言ってから、「しまった!!!」と死ぬほど後悔しました 。しかしもう後の祭りです 

  このまま自分の人生は終わる、と本気で思いました 。 ものすごく叱られて、あ~、明日から、もう学校には行けない、家でもきっと勘当させられる。もしかしたら、銃殺刑に処せられるかもしれない(これも真剣に思いました)と考えて、とぼとぼと夕方帰宅したのを覚えています 


  しかし、自衛隊から学校には通達がなかったのです(当然です。小学生に侵入される基地なんて、軍事基地ではありませんからね) 。 当時は、何事もなく怯えながらホッとしました 


  しかし、親には...と思い、親に言ったら、思いっきり笑うんです 私の両親はそんな人です 特に母親は、私の姉が長男を生んだ時のアドバイスが「男の子はその日のうちに生きて帰ってくればそれでいいのよ」でした 。(本当はとても心配だったでしょうが、男の子の育て方です。しかし親になってから、どれほど苦しいか分かります。今でも姉にこのことはよく怒られます) 


 どうして今日、久しぶりにこんなことを思い出したかは分かりませんが、私は自分の子供時代を振り返ると、「よく今まで生きていたな~」と思うことがたくさんあります 。みんなもそうでしょう?勉強はあまりしませんでしたが、いつも野山・海を駆け巡っていました 


 心配を我慢して、枠に縛らず、のびのびと育ててくれた親に感謝です 。 

好奇心 ああ好奇心 好奇心 お前はなぜに 俺たち誘ふ

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このページは、宝徳 健が2025年6月 5日 07:43に書いたブログ記事です。

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