千年企業❹金剛組3(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月二十四日 木曜日)4

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,294通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushi

金剛組のルーツは敏達天皇七年(西暦578年)に遡り、これが同社の世界で最も長く存在する企業として位置付けています。その創業は多くの国家や主要な世界宗教の成立よりも古く、その歴史的深遠さを示しています。  

 繰り返します。前回、千年企業は、まさに不易流行(不易流行:永く続く大切なものをしっかり守り、新しいことを取り入れていく)という我が皇室の精神と申し上げました

  新しいものを取り込むときは、不易を徹底的に検証することが大切です。不易と流行は分離するものではなく、積み上げてきた歴史である不易と新時代からやってきた流行が流れを一(いつ)にすることを当事者たちが創っていくことだからです。

 例えば、538年に支那大陸から漢字が我が国に伝来しました。しかし、皇室は漢字を400年間〜500年間使いませんでした。

 我國の在り方と新しい漢字の流れが一(いつ)になる
「万葉仮名」ができるまで。

すみません。この最初の部分はとても大切な肝なので、毎回書きます(初めて読まれる読者も多勢いらっしゃるので)

「お抱え宮大工」の役割と「正大工職」の称号

  金剛組は千年以上にわたり、四天王寺の専属の「お抱え宮大工」として奉仕してきました 。この特異な関係は、同社に安定した経営基盤をもたらし、毎年寺院から一定の禄(給与)を受け取るまでになりました。


8代目当主・金剛重則の時代、西暦961年から963年頃には、金剛家は四天王寺から「正大工職(しょうだいくしょく)」という名誉ある称号を賜りました 。この称号は、宮大工の最高位を示すものであり、金剛家の当主のみが名乗ることを許されるもので、現在の41代目当主まで受け継がれています 。  


  「お抱え」制度は、深く共生的な関係を築き上げました。寺院は金剛家を庇護することでその存続と安定を保証し、金剛組はそれに応えて寺院の継続的な維持、修理、再建を担いました。この「正大工職」という称号の正式な授与は、この関係性と高度に専門化された知識の継承を制度化しました。これは単なる契約関係以上の、信頼と共通の目的を基盤とした世襲の責任でした。この制度化された庇護は、金剛組が市場競争の絶え間ない圧力に晒されることなく、高度に専門化された技術を磨き、世代を超えて伝承することに集中できる環境を提供しました。これは、彼らの比類なき永続性において、しばしば見過ごされがちな、職人技の深化と長期的な技術開発の視点を育む上で決定的な要因となりました。  


  初期王朝と職人技の継承

  金剛組の技術的知識と職人魂は、初代棟梁・金剛重光から2代目、3代目、そしてそれ以降の世代へと、細心の注意を払って受け継がれてきました 。この途切れることのない技術継承の系譜は、同社の永続的な存在の根幹をなしています。  


  同社が四天王寺の維持・再建に継続的に関与してきたことは、その技術の実践、洗練、そして進化を保証しました。これは、創建から数世紀後に完成した部分(例:8世紀初頭に完成した回廊や講堂)にも及びます 。  


  企業が活動の停止や需要の欠如によって技術の衰退を経験することがあるのに対し、金剛組は四天王寺のニーズに常に対応し、積極的な関与を続けることで、技術継承と洗練のための生きた実験場を得ました。

  日常的な維持管理から大規模な拡張や修理に至るまで、この継続的な実践的な学習プロセスは、数世紀にわたり、彼らの独自の建築知識を家族と弟子たちの間に深く根付かせ、有機的な進化を可能にしました。この絶え間ない実践は、単なる理論的な学習を超え、釘を使わない接合技術、精密な鉋がけ、複雑な曲線を持つ屋根の製作といった、彼らの複雑な伝統技術の熟練度を確固たるものにしました 。また、これは、数十年にわたる工期を要する大規模な再建プロジェクトを繰り返し、成功裏に完遂できた理由を説明し、同社の比類なき機関知識と実践的な専門知識の深さを示しています 。  

  出光興産株式会社の創業者出光佐三店主は、出光五十年史で、出光興産が儲かっている時に嘆きます。「人が育たない」と。儲かっていない時に喜びます。「人が育つ」です。そして佐三店主は繰り返し

順境にて悲観し逆境にて楽観す

とおっしゃいます。こんなこと営利目的だけの会社なら言えませんよね。素晴らしい経営者というのは強い信念と共に、哲学的精神が生まれてくるようです。

 金剛組は、安定的な収益を創業して数年で得られるようになりました。ともすれば、安定は堕落を生みます。なのに、「日本の続くという文化」を継承するという緊張感がそれを否定しました。

 次回は、金剛組の破壊と再権のサイクルを書きます。歴史ある企業が順風満帆に行くわけがありません。でも、歴史の中で良かった時よりも逆境を乗り切ったことの方が、企業にとって「続く」という礎になることも事実です。

千年の 破壊と創造 ここにあり それを乗り越え 今という日が
満足は 失望を生み 安心は 絶望を生む 永き歴史に
乗り越えて また乗り越えて 乗り越えて 今ここにある 続く姿が 

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このページは、宝徳 健が2025年7月24日 03:49に書いたブログ記事です。

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