具体的には、マグニチュードが0.2大きくなると、地震のエネルギーは約2倍になります。マグニチュードが1.0大きくなると、地震のエネルギーは約32倍になります。東北大震災のマグニチュードが9.0、カムチャツカ半島の地震が8.8ですので、その差は です。したがって、マグニチュード9.0の東北大震災は、マグニチュード8.8のカムチャツカ半島の地震と比較して、約2倍のエネルギーを放出していたということになります。
阪神淡路大震災と比べると特別な計算式で約178倍が昨日のカムチャッカ半島地震です。カムチャッカ半島には約32万の人が住んでいます。被災された方には心から哀悼の意をヒョします。
カムチャツカでは1923年に2月4日と4月14日に連続して大地震が起きたことがあるそうです。それぞれ8.4 M w、7.0から8.2 M wの規模と推測され、震央が近いいわゆる双子地震でした。大正十二年(1923年)の九月一日月には関東大震災が起きています。
❷愚かな政権の時
メディアは絶賛していますが、村山が総理だった時に阪神淡路大震災が起きています。私のいとこが当時陸上自衛隊伊丹駐屯地にいて、彼らはすぐに出動準備をしたそうです。でも、愚かなる兵庫県知事柏原は自衛隊に出動要請を数時間後にしました。当時は、県知事しか自衛隊に出動要請ができませんでした。これを貝原は、「自衛隊と連絡が取れなかったと『言い訳』をしています。兵庫県の政治の闇は深い」。
伊丹駐屯では、浅井輝久司令がは、隊員たちに機材の分解を命じました。そして救援物資とともに担いで走らせました。愚かなるメディアは貝原を責めず浅井司令に「なぜもっと早く出なかったのか?」と問い詰めました。浅井司令は目に涙をいっぱい浮かべながら黙っていました。「サイレントアーミー:軍人は言い訳をしない」です。自衛隊は自己完結組織です。食事から風呂からなんでも生活物資は揃います。もっと早く出ていれば、死者はもっと少なくて済んだでしょう、阪神淡路大震災は貝原の人災です。
そして極め付けは総理の村山です。彼は社会党でした。米軍が出動を村山に打診しました。村山は自分のイデオロギーからそれを断りました。アメリカの原子力空母というのは電気の供給能力を持っていあす。その力たるや通常の原子力発電の4機分あります。阪神淡路大震災や村山の人災でもあります。
そして、東北大震災は、石破が総理になるまで史上最悪の総理 菅直人でした。
何が言いたいか。愚かなる政権の時には、必ず、未曾有の大災害が起きています。
前回のカムチャッカ地震のあと、すぐに関東大震災が起きています。みなさん、どうか「正常性バイアス」を出さないで、大災害に備えてください。
千島列島やカムチャッカ半島沖には、千島、カムチャッカ海溝が伸びていて途中でチョン切れてはいますが、日本海溝に繋がり、小笠原海溝を経てマリアナ海溝に至る地殻変動が活発な地域に当たる。カムチャッカ半島沖が震源であるとすればカムチャッカ海溝を震源とする海溝型の巨大地震である可能性が高いのです。ここ最近、海溝付近で地震が多発しているのは間違いありません。この先も続けて地震が起こる可能性があり、要注意です。
最悪のケースでは係留が切れ、退役原潜が岸壁に衝突・半沈没、戦略原潜や攻撃原潜も複数中破し、現役原潜10〜15隻中半数が損傷するでしょう。老朽艦や廃棄物保管庫が浸水すれば冷却系喪失で汚染水流出の恐れもあります。 弾頭庫は地下で即爆発はありませんが、電源喪失リスクがあります。ロシアはこれを隠しに隠すでしょう。被災者の数も含めて、嘘の発表がつづくでしょう。もうアメリカあたりは衛生画像で把握しているでしょうが。
ロシアは戦争や災害のとき、歴史的に二方面作戦をする力も意志もありません。それに今はウクライナ戦争で経済が極端に疲弊しています。被災者への救援は日露両国の外交になるのでしょうけど(人民に罪はない)、どうですか主権者国民のみなさん。
北方領土を取り戻しませんか?
それとも口だけですか?歴史上我が国の領土を、卑怯千万な手で奪われた我國固有の領土を取り返しませんか?石破や岩屋では無理なのが残念です。
❹私が航空自衛隊の空将なら
今、ロシアの領空に向けて戦闘機を数機飛ばします。偵察と彼らの防空能力を知るためです。外交とは相手の嫌なこともしなくてはなりません。
❸正しい歴史:榎本武揚の見事な外交と千島樺太交換条約
当時日本では、あの強大で世界最強のロシア陸軍が、朝鮮半島と樺太から二方面作戦で攻めてられたら、日本にはそれに対応する能力はありませんでした。その際、明治の男たちは見事なセカンドベストを選択し、相手に卑屈になるどころか、堂々とした外交交渉でそれを見事に次々と成し遂げます。今のビクビク外交とは全く違います。
千島樺太交換条約(正式名称:樺太千島交換条約)は、明治八年(1875年)にロシア帝国との間で締結された条約です。この条約によって、日本は樺太全島に対する領有権を放棄する代わりに、千島列島すべて(得撫島以北の北千島だけでなく、択捉島以南の南千島を含む)をロシアから獲得しました。
この条約の締結において、当時の全権公使であった榎本武揚の外交手腕が非常に高く評価されています。彼は、日露間の国境画定問題が膠着状態にある中、粘り強い交渉と緻密な戦略をもって、日本にとって最善の利益を引き出しました。
さあ、この話は長くなります。明日から、シリーズで書きましょう。
日も開けぬ 小さな国で 見事なる 成果を遂げる 日本外交
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