孫子の兵法と今の我が国3(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月二日 土曜日)5

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,327通目です(後で数えなくていいように)。

 孫子の兵法の始計編に以下の言葉があります。

利を計りて、以って聴き、すなわちこれが勢いを為し、以って、その外を佐(たす)く
「勝ち目があると分かってから開戦を決め、そのときには策略をめぐらせて有利な状況をつくる」

❷勢いは、利に因りて権を制するなり
「勢いというものは、どうすれば有利になるかを考えて、臨機応変にうまくやっていくことだ」

能(よ)くしてこれに能くせざるを示し、用いて、これに用いざるを示す

「できるのに、できないふりをする。用いているのに、用いていないふりをする」


❹近くして、これに遠ざかるを示し、遠くして、これに近づくを示す
「近づきながら、遠のいているように見せる。遠のきながら、近づいているように見せる」

  日本には日清・日露戦争として、大東亜戦争には勝ち目がありませんでした。勝ち目がわかってから回線をすることはできませんでした。日露戦争では午前会議が終わった時は、重臣たちはみんな涙を流したそうです。でも、精一杯のことはやりました。
まず、明石元二郎(もとじろう)です。彼は、ヨーロッパに入ってロシア革命起こさそうと画策します。彼の諜報活動がいかに優れていたかは、日露戦争後、明石の諜報活動は各国の模範になっています(それまで欧米にもロシアにも明石がやった諜報活動のやり方は全く知らなかった)。まさに孫子の兵法の「策略をめぐらせて有利な状況をつくる」です。

※明石元二郎の功績:1905年の「血の日曜日事件」や、戦艦ポチョムキンの反乱といった事件の背景には、明石の資金援助や工作。ロシアは、日本との戦争に加え、国内の反乱にも対応せざるを得なくなり、戦争継続が困難になった。これにより、ロシアは早期の講和に応じざるを得ない状況に追い込まれた。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、明石の働きを「明石一人で、大山満州軍20万に匹敵する戦果を上げたと言った。等々。

「できるのに、できないふりをする。用いているのに、用いていないふりをする」の明石元二郎の手柄です。明治の男たちは支那の古典をよく読んでいました。

 「それに『戦争』で勝てるかどうかはわからないが、せめて負けないようにやる。」とやれることはやります。下瀬火薬はご存知ですか?破壊力はあまりないのですが、相手の甲板に着弾すると、爆風と炎で敵の艦体を破壊し、火災を引き起こしました。バルチック艦隊は見る影もありません。

 それに、帝国海軍の砲弾着弾率は訓練に訓練を重ねて(当時の世界の常識では確か2%ぐらいであれば優秀だった)が5%だったと言います。

 帝国陸軍と帝国海軍の連携(の考え方)も優れていました。当時の帝国海軍は、山本五十六のように愚かな作戦は立てませんでした。何を好んで、ハワイ(奇襲は成功しましたがタンクも破壊しなかったし、何よりハワイを占領してそこに大和を持っていかな愚かなもの。当時ヤマトの火力に勝てるアメリカの船はありません。なので、米軍は出るにだれれない状況だったでしょう)。そうすれば、アメリカには勝てはしなかったかもしれませんが、対等条件での引き分けで終わった可能性が高い。

   ミッドウェイ、ガダルカナル、ソロモン等の遠くになぜ世界最強の帝国海軍がわざわざいかなければならないか。

   乃木希典大将があれだけ二百三高地攻略にこだわったのは、そこを落として旅順艦隊を壊滅させないと、連合艦隊が動きようがなくなるから(司馬遼太郎は嘘ばかり書いていますが)。連合艦隊はバルチック艦隊を世界の海戦史上例がない勝ち方をし、二百三高地のくびきが外れた帝国利軍は奉天会戦で大勝利を収めました。とにかく政治と帝國陸海軍の連携は、軍は「こう言う戦い方をするから、できるだけ早く終戦の締結をしてくれ」と頼みました。

「勢いというものは、どうすれば有利になるかを考えて、臨機応変にうまくやっていくことだ」です。

  そして何よりも日英同盟です。英国とロシアは大競争時代で刃を交えていました。でも、上海事変の時の、帝国陸軍の柴五郎の敢然たる戦いを見てイギリスは日英同盟を決意します、

 これも孫子の兵法の、
「近づきながら、遠のいているように見せる。遠のきながら、近づいているように見せる」

です。

大東亜戦争の時の官僚化された将軍たちは一切何もやっていません。

人間は 過去から同じ 間違いを 何度もおかす 愚かな存在
愚かにも 過去の歴史を 学ばない 人間たるや 害を振り撒く

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このページは、宝徳 健が2025年8月 2日 06:13に書いたブログ記事です。

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