超訳 昔、男ありけり:芥川(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月十四日 日曜日)4

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,523通目です

 

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昔から 男はやんちゃが ちょうどいい 平安業平 室町道誉


 子供の頃だったかなあ、ウインナーソーセージかなんかのCMで、「腕白でもいい。逞しく育ってほしい」というのがありました。今こんなことしたら「男女差別だ」と変な奴らが騒ぐのでしょうね。

 

 繰り返し書きますが、女の子は生まれた時から女の子ですが、男の子は「あなたは男でしょ!」と育てないと男の子になりません。小さい時は女の子の方がたくましいですよね。成長も早い。その昔は、男の子が生まれた後の生存率が低く、男の子がなくならないように女の子の格好をさせていました。

 

 私のいとこにとっても綺麗でとっても活発なKちゃんという女の子がいます。今、どう

しているんだろう。この人は小さいとき、崖の上に吊り下がった蔦にぶら下がってターザンのように飛んで行ったり、橋の欄干の方に飛び移って欄干の上を平気でかけていくようなことを平気でやっていました。同い年です。小学校中学年ぐらいのときにそんなKちゃんと見てよくこんなことができるなと思っていました。私には怖くてできませんでした。

 

 産声を上げずに生まれてきた私は、お産婆さんの気転で、足首を持って逆さに吊り上げられ、ビンタをお産婆さんが張り、ようやく産声を上げました。なので、小さい頃は体が弱く、両親は「この子は大人になるまで生きなれないかもしれない」と思ったそうです。体が強くなったのはド不良中学に入って自分の身を守るために鍛えてからです。

 

 私が生まれてからも長い間、父方母方両方に男の子がいなかった私一人しかいませんでした。我が一族は、その目が一心に私の母に向かます。たった一人の男の子を母がどう育てるか!?という目が。なので、どんなにヤンチャをしても、普段は信じられないぐらい優しいのですが、私が日本男児として間違ったことをすると烈火の如く怒りました。「あなたは男でしょ」「負けてはいけない」と繰り返し言い聞かされました。


なので伊勢物語の在原業平みたいな男が大好きです。他に好きなのが、室町時代の佐々木道誉、秀吉・家康にからみ好きがあったら天下を狙った伊達政宗昭和の天才軍人 石原莞爾(彼が指揮をとっていたら大東亜戦争は負けなかったでしょう)と敗戦後に日本の危機をすくった樋口季一郎です。軍上層部は愚かでしたが、現場にはまだまだ武士の精神を持った将軍がたくさんいました。

 

先ほどの和歌は、業平とそして佐々木道誉のやんちゃさを詠んでいます。男よ男たれ!女よ!男に女を求めるな!差別ではない区別です。古事記に書いてあるのでしっかり読むように。


ゲーまた前置きが長くなった笑。

(原文)

  これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、②かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、③御兄、堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へ参り給ふに、④いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめて取り返し給うてけり。⑤それを、かく鬼とは言ふなりけり。⑥まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。

 (宝徳の超訳)

 実は、昨日の鬼に食べられた話というのは在原業平の錯覚だったのです。「二条の后」とは、すなわち藤原高子(ふじわらのたかいこ)のことであり清和天皇の女御(天皇の側室)であると同時に在原業平が春宮(皇太子)だった頃に二条の后と恋愛関係にあったとする説もあります。まだ二条の后が普通の身分の時にさらったのですね。そして、兄弟たちが攫われたのを知って奪い返しに行ったのを業平が鬼食べられたと勘違いしてしまったです。とんだオチですね。このように業平はいつもハラハラドキドキ。これは私の和歌です。

 企て(くはだて)が なきにも等しい 人攫い 鬼と間違へ 嘆く姿が

(現代語訳)

①この話は、二条の后(=藤原高子)が、いとこの女御のところに、お仕えするようにしていらっしゃったのを、②容貌がたいそう美しくいらっしゃったので、〔男が女を〕背負って踏み出したのを、③御兄の堀川の大臣(=藤原基経)、長男の国経の大納言(=藤原国経)が、まだ低い身分で内裏へ参上しなさるときに、④たいそう泣く人がいるのを聞きつけて、引きとめて取り返しなさったのだった。⑤それを、このように鬼と言うのであった。⑥まだたいそう若くて、后が普通の身分でいらっしゃったときのことだという。

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このページは、宝徳 健が2025年9月14日 04:33に書いたブログ記事です。

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