超訳 昔、男ありけり:浅間の獄(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十四日 水曜日)5

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 伊勢物語は第八段になります。今日は「浅間の獄」です。まずは原文から。

むかし、男ありけり。京やすみ憂かりけむ、あづまの方にゆきて、すみ所もとむとて、友とする人、ひとりふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に煙の立つを見て、

信濃なる あさまのたけに 立つけぶり をちこち人の 見やはとがめぬ

(宝徳超訳)
 前回からの続きです。浅間の獄というのは、信濃国の浅間山です。煙が立ち昇っているので、ああすごいなあ、雄大だなあと思っているのですね。

 私は、中学の時に、持統天皇の

春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山

や、天智天皇の

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ

 という歌に接したとき「こんなことを歌ってなんになるんだろう」と思ってしまいました。世の中や民の幸せを天皇陛下が思って歌っているとは思わなかったのですね。学校の先生もこんな情緒のある人たちではありません。生徒に説明もできません。だって日教組ですもの。

 和歌はもっと早くから子供たちに教えるべきです。わが日本でな前年も続いている文化・文明です。そして、子供達に情緒が芽生えます。二十六文字しかない英語ではとても無理です。もちろん必要な人は英語を学べばいいのですが。

古代の人 ほぼ全員が 和歌創る その心根が 心に響く


(現代語訳)

昔、男がいた。京は住みづらかったのだろうか、東国の方に行って、住む所を求めようということで、友人一人二人とともに行った。信濃国、浅間の嶽に煙が立つのを見て、

信濃にある浅間嶽に立つ煙、遠くの人も近くの人もこれを見て不思議がらないだろうか。いや、不思議がるはずだ。

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このページは、宝徳 健が2025年9月24日 04:23に書いたブログ記事です。

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