超訳 昔、男ありけり:東下り❷(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月十七日 水曜日)6

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 東下りの後半です。まず、原文から。意味がわからないかもしれませんが、同じ日本人です。読んでみてわからなくても味合うのもいいですよ。

①なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。②それをすみだ河といふ。③その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、④渡し守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、⑤みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。⑥さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ、魚を食ふ。⑦京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。⑧渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、

⑨名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

⑩と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

(宝徳超訳)
      名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

 なぜ、こんなに素敵な和歌が読めるのでしょうか?知らない鳥を見ただけで、愛する人が思い浮かぶのか。おそらく「情緒」と感じることがこの時代の人と私たちとは全く違うのだと思います。それと、和歌が非日常ではなく、日常だったことも。今、ブログでたくさん和歌を詠んでいますが、それは、和歌を日常にすることで、この頃の素敵な日本人に少しは近づけるかと思っているからです。とにかく後108歳まで41年。なれるかどうかやってみますね。でも、業平もこういう歌を詠むならわざわざ愛する人を京都に置いて出かけるなよ笑。

      泣くほどに 思ふ人あらば 都鳥に 何をか尋ねん 愛する人を

(現代語訳)

①さらに進んで行って、武蔵の国と下総の国との間に、たいそう大きな川がある。②それを隅田川という。③その川のほとりに〔一行は〕集まって座って、〔旅を〕振り返ると、この上なく遠くに来たものだなあと互いに嘆きあっていると、④渡し守が、「早く舟に乗りなさい。日も暮れてしまう。」と言うので、〔一行は舟に〕乗って渡ろうとするが、⑤〔一行の〕人はみななんとなく悲しくて、〔それは〕都に思う人がないわけでもない〔からだ〕。⑥ちょうどそのとき、白い鳥で嘴と脚とが赤く、鴫の大きさの鳥が、水の上で遊びながら、魚を食う。⑦都では見かけない鳥なので、人はみな〔何という鳥なのか〕わからない。⑧渡し守に尋ねると、「これは都鳥です。」と言うのを聞いて、

          名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

⑨〔都という言葉を〕名前として持っているならば、さあ尋ねよう都鳥よ。私が〔愛しく〕思う人は〔無事で〕いるかどうか

⑩と詠んだので、舟〔の人〕はみんな泣いてしまった。

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このページは、宝徳 健が2025年9月17日 02:55に書いたブログ記事です。

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