国家は判断しなくなった時に空洞化する❺
「診る」とは、日本が平和を実装すること
私はこう定義したい。
「診る」とは、世界平和のあり方を
我が国が"理念ではなく実践"として示すこと
「診る」とは、戦争を
破壊ではなく「創造」に変換していく姿勢を持ち続けること
声高な正義ではない。
力による制圧でもない。
「人を診続ける国家」という在り方そのものを、
世界に提示すること。
それは、大国になることよりも、
ずっと難しく、ずっと尊い道だったのかもしれない。
国家は判断しなくなった時に空洞化する❻
診なかった国家が失うもの
「診なかった」国家は、決断ができなくなる。
なぜなら、決断には"引き受ける覚悟"が必要だからだ。
そして、
「診なかった」国家は、
他国の破壊を止める言葉を持てなくなる。
自らが「人を診てこなかった」ことを、
世界は敏感に見抜くからだ。
私たちは、いま「診る」地点に立てているだろうか
問いは、過去の日本だけに向けられていない。
いまの私たち一人ひとりに向いている。
私は、ニュースを「視て」終わっていないか
その奥にいる人間を「診よう」としているか
未来を引き受ける覚悟を、どこまで持っているか
私たちは、いま「診る」地点に立てているだろうか
問いは、過去の日本だけに向けられていない。
いまの私たち一人ひとりに向いている。私は、ニュースを「視て」終わっていないか
その奥にいる人間を「診よう」としているか
未来を引き受ける覚悟を、どこまで持っているか
私たちは、世界の大きな流れを「診る」当事者であり得るのだろうか。
その問いを手放さないこと自体が、
国家を空洞化させない、最初の一歩なのだと思う。(つづく)

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