てなもんや三度笠(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)四月二十八日 月曜日)3

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10041通目です(後で数えなくていいように)
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。

 https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/8  

 昨日の実績報告をしていませんでしたね。10,273歩/60分です。171.3歩/分。分けて歩けばこのぐらいで歩けるようになりました。

 私がこのぐらい幼い頃に

 これは三歳です。姉が五歳で私が三歳の七五三です。

 この写真を人に見せると、「おぼっちゃんねえ」と言われますが、うちの家に新しい子供用コートを買う余裕はありませんでした。すべて、親父のお下がりを母が仕立て直してものです。そういえば母も叔母も洋裁がうまかったなあ。

 繰り返します。私がこれぐらいの時に「てなもんや三度笠」というとても面白いTV番組がありました。芸の一座がTVに飛び込んできたような。8時だよ全員集合みたいな。昭和三十七年(1962年)〜昭和43年(1968年)までの番組です。なので、私が写真に頃よりもう少し大きくなった頃かな。TVが白黒放送からカラー放送になる途中ですね。カラーが普及したのは、昭和43年(1968年)なのでそうですね。オリンピックをカラーで観ようというCMで日立キドカラーが発売になっていました。メキシコオリンピックです。ストライカーがヤンマーの釜本、ウィングが三菱重工の杉山です。サッカーで銅メダルを獲得しました。君原健二がマラソンで銀メダルを獲りました。

  ゴールデンシックスティズ(黄金の六十年代):池田勇人総理の大蔵省と日銀の緊縮財政を抑えたながら展開した所得倍増政策が波に乗り始めた頃です。日本がどんどん強くなるのを子供心にワクワクしながら感じていました。この頃の私は大阪府枚方市に住んでいました。

 閑話休題。てなもんや三度笠の面々をお伝えします。もう、著作権は切れているのかなあ。大丈夫ですよね。だめだったらすぐに削除します。

 
 すごい面々でしょう笑笑?白木稔なんて最高に面白かった。 えっ?どんなお笑いかですって?
  あんかけの時次郎の藤田まことと、お名前を失念しましたが、切られ役がいました。それが面白いコントをするんです。先週が舞台です。舞台で、ドタバタ劇でした。ごめんなさいね小さかったからあまり詳しく覚えていません。

 「ええ、あっしゃあ泉州は信太(しのだ)の生まれ、あんかけの時次郎、義理には強いが人情にゃ弱い。男の中の男一匹」だったけな。そして、最後に「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」といったところで舞台でも家でも拍手喝采。

 スポンサーが前田製菓さんです。その前田製菓さんが作っていたのが「前田のクラッカー」なんです。

  この前、かみさんの命令で、安売りのピーマンを買いに行った時、スーパーの中をぶらぶらしていたら、なんとなんと「あたり前田のクラッカー」が売っているではありませんか!!!!!!


 なんというロングセラー商品。150円〜170円/個(お店によって違います)。買う時に「あたり前田のクラッカー」と叫びながら買ったら店員さんが訝しい顔をしていました。知らないですよね。

 このブログはこれが描きたいから「てなもんや三度笠」に前座をしてもらいました。

 ロングセラーっていいですよね。前田製菓さんは堺市の菓子メーカーです。

とつぜんと 姿を現す なつかしい あたり前田の クラッカーやん

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このページは、宝徳 健が2025年4月28日 12:18に書いたブログ記事です。

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