三本の木刀3(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)四月二十二日 火曜日)

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 もう処分してしまいましたが、私は三本の木刀を持っていました。ずいぶん昔のことなので記憶が曖昧かもしれませんが、一本は中学生のときに隣の中学と喧嘩するので買いました。実際は、相手とこっちが集まって対峙してみると、みんな失禁するほど怖くて怖くて木刀を使うどころではありません。どこで買ったかって? 新聞配達で稼いだお金で、質屋さんで千円(たしか)で買いました。ケンカが強くなりたくて、それを100回/日振っていました笑。ばかですよね笑。

  もう一本はどこかの神社で買ったんです。記憶では、源義家が元服した石清水八幡宮だと思い込んでいたのですが、岩清水八幡宮には、木刀のお土産はおいていないですよね。これはかなり大きい木刀で、私の身体を鍛えるのに、かなり貢献してれました。源義家は、石清水八幡宮で元服したので、八幡太郎義家と言います。次男が賀茂神社で元服したので、賀茂次郎義綱、三男が三井寺の新羅明神で元服したので新羅三郎義光です。

  さて、もう一本はどこか。

  出光興産株式会社千葉支店に勤めているサラリーマン時代に、東国三社が大好きでよく行きました。茨城県鹿島神宮、息栖神社、千葉県香取神宮です。昔はこの辺りは水濠地帯で、船を降りるとすぐに各社の入り口の鳥居だったそうです。

  鹿島神宮の御祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。大国主命に国譲りを迫った神です。武の神様なのでここで木刀を買いました。その木刀は漆黒で、家においているだけで守神のように感じます。

  私は、最初に、古事記を読んだときに、善政を敷いている大国主命に天照大神はなぜしつこく国譲りを迫るんだろうと思いました。それがわかるまでに何年ぐらいかかったでしょうか。大国主命は善政を敷いていましたが、それは所詮、「うしはく(支配する。民も食物も土地も全てが支配者のものである)」だったのです。高天原からつづく天照大神の天つ神(あまつかみ)たちは、「しらす(民は自分たちの宝物であり、たみのことをよく知る統治を行う)」だったのです。それが遥か昔からつづく日高見の国という皇室の原型統治方法だったのです。なので、シラスに戻す!と意思決定したのです。

 毎朝、唱和している大祓詞(おおはらえのことば)という神社で神主さんたちが毎朝読む祝詞がありますが、そこにしっかりと明記されています。

 三十歳の時に宗像大社からいただいたものです。三十六年前ですね。暗記しているのですが、こんなボロボロになっても絶対に捨てることはできません。これだけは命が閉じた時に棺桶に入れてもらいます。毎朝、暗唱しています。2ページ目に

 「我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと:天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと))は豊葦腹瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに:豊かに葭がはえ米が実る国 我が日本の別名)を安国と平らけく知ろし食(め)せと」とあります。「この知としめせ」とうのが、天皇家の私たちへの統治(しはいではない)のしかたであり、我が国の国体です。

 そして3ページ目に「大倭(おおやまと)日高見国(ひだかみのくに)を安国と定め奉りて」とあります。

 詳しくはシリーズで書きますが、今から歴史学者が知っていながら絶対に言わない我が 日本の本当の歴史と、そして、出雲で国譲りを迫った武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、なぜ、北の鹿島で祀られているかを説明しましょう。楽しみしてください。つづく


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このページは、宝徳 健が2025年4月22日 07:58に書いたブログ記事です。

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