博多弁じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月十四日 水曜日)2

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10077通目です(後で数えなくていいように)
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         お天道様、今日も良か一日ば過ごしますけんみとっといてください

1お前らが言ったらあかんばい
 確かに石破政権は驚くほど無策ばい。こんなのを総理大臣にしたくさ政局と国民ば俺は恨むばい。石破はくさ付和雷同ったい。自分の意見ばもっとらんって。そのくせ「やってますよ!」げな国会でどなっとるとって。ばってん、石破よ、旧民主党なんかにくさごちゃごちゃ言わせたらいかんばい。ちなみに俺はくさ、立憲民主党という名前が大嫌いたい。まずくさ憲法の本当のことば知らん人間たちにくさ立憲げな言葉ば使ってほしくなかと。憲法と憲法「典」の違いもわかってない間たちにくさ立憲などと言う言葉を使ってほしくなかと(本来は一緒ばってん、今の日本は違うったい。これが今の日本の最大の問題ったい)。それとくさ「立憲民主党?」。「立憲共産党(本人たちは自分たちはくさ実は共産主義者だということに気づいとらんめいが)」だろう。だけん彼らのことをあの悪夢時代を思い出しながらくさ「旧民主党」と呼ぶけん。わかったや弁護士出身の枝野さんよ。弁護士は正解では何も役に立たんばい。

  この政党はひどかったばい。国民を幸せにしようなどと言う考えはくさ露ほど持たんかったね〜。意識は皆無やったと。私の後輩にくさ、民主党政権時に外務副大臣をやっとったTとう男がいるとって。あるとき話したらくさ「外務省のこう言うところを直していきます」げな言うったい。それは官僚の仕事ばい。あんたの仕事は外交ったい。こういうのをくさ、本末転倒げな言うったい。それとかくさ、ロシアは、北方領土ばとったことをくさ、正当化するためにくさ、9月3日を終戦記念日にしとるとって。Tはくさ「それは致し方ないですね」げな記者会見で言ったとって。北方領土はソ連領げな認める発言やろうが。まず、鳩山もはじめ全員外交の素人やったね。鳩山やら、あれでよう日米同盟が壊れんやったね。野田やら尖閣列島ば支那共産党の好き勝手にやらせとったったい。都知事に石原慎太郎がおらんやったら大変なことになっとったばい。

 菅(かん)? あれは史上最悪の総理大臣ったい。憲法史家の倉山みるつさんがくさ「菅が総理大臣になっても通用する憲法が必要」げな言っとろうが。大賛成ばい。

 ばってん、阪神淡路大震災といいくさ、東北大震災といいくさ、変なやつの時に未曾有の大災害が起きとろうが。だけん、今は、石破やろう? こんな時に大震災が起きたら日本は大変なんことになるばい。困った困った。

 旧民主党に時代に円は80円/💲になったと。株価は1万円切るは、税収やら38兆円までに落ち込んだとよ(俺の記憶ばい。きちんと調べとらん)。旧民主党がくさ政権ばとったときにくさ、俺はブログに書いたと
「国民はここまで愚かか」げな。みんな喜んどったろうが。まるで大東亜戦争開戦のときにくさ、国民が喜んだ構図に似とるばい。

 石破よ。こんな旧民主党に言われるなよ。辻元げなあんな犯罪者に言われるなよ。辻元、お前が石破は無策げな言うな。お前なにしてん。旧民主党の時にくさ。

 こげなとに言われとる石破は情けなかあ。頼むけんはよやめてくれ。

3.ヤマト運輸
 金融機関かと思ったらヤマト運輸に大規模システム障害が起きとるね。これはまた詳しく調べたらブログに書くけんね。

食物に された日本が 骨と皮 経済大国 その姿どこ

 ひとつ掲載を忘れていました。すみません。

3.魚は頭から腐る(歴史小説)2. 
  鳥羽上皇が叔父児と呼んでいる、実は、祖父の子、系譜は自分の子、◯◯天皇の次の天皇を、近衛天皇を即位させました。白河法皇が崩御され、鳥羽上皇が実権を握ったのです。

 近衛天皇は、鳥羽上皇と上皇が寵愛する藤原得子(なりこ:後の美福門院)との間に出来た子です。系譜上は、◯◯天皇の弟ということになります。もし、この頃に国民投票があったら、皇室は日本の歴史から消え去ってしまったでしょう。だって、歴代天皇陛下が挑戦し続けた「国体 しらすとの戦い」とは全く行き方が違うからです。さて、◯◯に入る御方はどなたでしょう。皇室の暗黒の歴史です

 「おかみ、大変でございます。陛下が・・・、近衛天皇が・・・。」

「そうぞうしい、どうしたというのじゃ」

「ご崩御あそばしました」

「何!!!まだ十七歳ぞ」

 さて、困った。と上皇は思った。次は誰を玉座に座らせようものか。

 十年以上を数える前のことである。白河法皇が崩御され、独り身になった璋子(たまこ)と、鳥羽上皇は、はじめて一夜をともにし、そして通じた。系譜上は、璋子は、自分の皇后である。何の遠慮がいるものか。璋子も、法皇が崩御され、独り身になってしまったものの、まだ若い身。はじけんばかりの生身の体を持て余すのは、日が暮れ、月が昇る毎日の出来事であった。久しぶりの男の体に触れ、璋子は、しとどに濡れた。

 その時の子が、雅仁(まさひと)親王である。白河法皇ではなく、正真正銘の自分の子である。

「次は、雅仁じゃ」

 鳥羽上皇は、雅仁親王を皇位につけた。後白河天皇である。系譜上は◯◯上皇の弟に当たる。

「なっ、なっ、なんということ。 わたしの立場はどうなるのじゃ。近衛天皇のあとには、我が息子、重仁親王をと思っておったのに。今からでもまだ間に合うかもしれぬ。わたしとて上皇。その力を持ってすれば。」

 ◯◯上皇は、東奔西走した。そして、事実がわかった。鳥羽上皇は、近衛天皇を即位させるとき、◯◯上皇を実権を握れない地位に押し込める詔(みことのり)を出していたのだった。

「や、やられた~。わたしはいったい、何のために生まれてきたのじゃ。呪われた身じゃ。呪われた身でありながら、人を呪うこともできぬ。私は何のために生まれたのじゃ~」

 鳥羽上皇は、なにゆえ、あれほど憎んでいた璋子に手をつけ、璋子が産んだ子を皇位につけたのであろうか。 (つづく)



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このページは、宝徳 健が2025年5月14日 01:43に書いたブログ記事です。

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