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近衛天皇は、鳥羽上皇と上皇が寵愛する藤原得子(なりこ:後の美福門院)との間に出来た子です。系譜上は、◯◯天皇の弟ということになります。もし、この頃に国民投票があったら、皇室は日本の歴史から消え去ってしまったでしょう。だって、歴代天皇陛下が挑戦し続けた「国体 しらすとの戦い」とは全く行き方が違うからです。さて、◯◯に入る御方はどなたでしょう。皇室の暗黒の歴史です
「おかみ、大変でございます。陛下が・・・、近衛天皇が・・・。」
「そうぞうしい、どうしたというのじゃ」
「ご崩御あそばしました」
「何!!!まだ十七歳ぞ」
さて、困った。と上皇は思った。次は誰を玉座に座らせようものか。
十年以上を数える前のことである。白河法皇が崩御され、独り身になった璋子(たまこ)と、鳥羽上皇は、はじめて一夜をともにし、そして通じた。系譜上は、璋子は、自分の皇后である。何の遠慮がいるものか。璋子も、法皇が崩御され、独り身になってしまったものの、まだ若い身。はじけんばかりの生身の体を持て余すのは、日が暮れ、月が昇る毎日の出来事であった。久しぶりの男の体に触れ、璋子は、しとどに濡れた。
その時の子が、雅仁(まさひと)親王である。白河法皇ではなく、正真正銘の自分の子である。
「次は、雅仁じゃ」
鳥羽上皇は、雅仁親王を皇位につけた。後白河天皇である。系譜上は◯◯上皇の弟に当たる。
「なっ、なっ、なんということ。 わたしの立場はどうなるのじゃ。近衛天皇のあとには、我が息子、重仁親王をと思っておったのに。今からでもまだ間に合うかもしれぬ。わたしとて上皇。その力を持ってすれば。」
◯◯上皇は、東奔西走した。そして、事実がわかった。鳥羽上皇は、近衛天皇を即位させるとき、◯◯上皇を実権を握れない地位に押し込める詔(みことのり)を出していたのだった。
「や、やられた~。わたしはいったい、何のために生まれてきたのじゃ。呪われた身じゃ。呪われた身でありながら、人を呪うこともできぬ。私は何のために生まれたのじゃ~」
鳥羽上皇は、なにゆえ、あれほど憎んでいた璋子に手をつけ、璋子が産んだ子を皇位につけたのであろうか。 (つづく)
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