https://batonz.jp/partner_
江戸時代は、米本位制です(戦国時代から)。米が豊富にあるときはいいのですが、市民の経済が成長すると、米が足枷となり、経済が成長しなくなります。貨幣制度も不備(後日)ですから、江戸時代は米の枠でしか成長できません。子供の頃一時期、静岡県駿東郡裾野町(現 裾野市)に住んでいました。地域同士の対抗ソフトボール大会があり、私も自分の地域のソフトボールチームに入っていました、他の地域のチームに「深良新田」という名前がありました。米本位制だった江戸時代は新田開発が盛んになったのです。その地域は、新田開発が行われた地域なのです。でも、江戸時代は経済がどんどん成長していくので、そんな新田開発ぐらいでは、追いつきません。結果として米デフレ(米の価値が上がって他の物の価値が下がるとい状況)。いくら商売を頑張っても米の価値以上にならない経済は、市民をしらけさせます。おまけに当時の日本は貿易制限をしています。鎖國ではありません。貿易制限です。阿蘭陀(オランダ)と清とは貿易をしています。私たちが、鎖國だと学校で習ったのは嘘です。
キリスト教教会主義の宗教戦争の波が日本にもきます。極め付けは、天草四郎の島原の乱です。あれは、キリスト教教会主義が、欧州の最終宗教戦争である三十年戦争における勢力争いを我國も持ってきました。あわよくば我國も操ろうとしました。それで、天草四郎を焚き付けて、島原の乱にしました。学校の教科書では、島原の乱は良かった!幕府が悪い!としています。とんでもないですね。学校の歴史は嘘ばかり。天草四郎なんてテロリストを英雄にしたてあげています。オランダはカトリックなので、交易を許しただけです。
財務省型プライマリーバランス(基礎的財政収支)本位制です。経済成長の枠を緊縮財政の枠で押さえ込もうとしますから、経済が発展したくてもできません。プライマリーバランスの名の下に増税をしますから、経済発展阻止にさらに拍車がかかります。 このプライマリーバランス本位制が30年以上我國経済を停滞させた正体なのです。人災です。
政治家もメディアも國民も企業経営者に騙され、それをよしとします。デフレで物価が下がったと喜んでいまたが、今は、この苦しさに物価高が上乗せされてきています。でも、その対策を給付金などと言う社会主義政策で誤魔かします。目も当てられません。
江戸時代の享保の改革は、徳川吉宗が、自分の領土の紀州でやった財政再建が成功したから幕府でもやろうとしました。紀州でやったのはミクロ経済でしかありません。米本位制を。新田開発をしても経済の成長がそれを上回ります。これが米と物の変動相場制ならいいのですが、米本位制という小固定相場の下で、米と比べて相対的に価値が下がった他の商品は、いつでも高い米と交換できるようになります。結果として価値が上がったはずの米がその実態と比べて安く取引されます。これが江戸幕府の窮乏の原因です。米で給料をもらっている武士の生活はたまったものではありません。
中央政府と藩政府は違います。紀州藩の藩財政改革の手法で徳川直轄地の260万石という全国では成長する全国規模が支えられるわけがありません。吉宗は、今と同じ緊縮財政をして不況に拍車をかけました、わずか260万石の幕府直轄地の経済では、所詮、國の経済は支えきれないのです。
水野忠邦もそうです。一番ひどいのは歴史の強化書では英雄にされている松平定信です。極端な緊縮財政は江戸時代の寿命を縮めました。もっとも、その後、徳川家斉が、インフレ次にインフレ政策をしてしまったのでまたおかしくなりましたが。
江戸時代は貿易制限をしています。なので、國内経済は、海外に活路を求めることができません。海外に活路を求めようとした田沼意次は、徳川家光のご禁制に触れると松平定信に糾弾され、失脚しました。 ◯◯本位制というのはダメなんです。なんでこんなことを長々書いたか。歴史に学べって言いたいのです。それをまた財務省は繰り返しています。他國が笑っています。日本が緊縮財政をすると自分の國が儲かるから。
コメントする