日本のようになるな❷(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)

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 昨日の続きです。

マクロ経済の市場とは、1)モノ(財市場:ものが動きまわる市場)、2)カネ(貨幣市場:カネが動きまわる市場)、3)ヒト(労働市場:人の流動性が高まる市場)です。政府が考えなければならないのはこのマクロ経済の3つの市場をいかに活性化させるかであって、株価とか物価とか賃金とかを考えることではないのです。こんなことを考えるのはポピュリズムです。國民もそこに甘えます。社会主義国家になっていいきます。この3つの市場を、太く強く大きく早く動かすと経済は成長します。

 

 では、ミクロの市場は何か。企業や民間の需要と供給のバランスです。つまり、マクロ経済の市場において需要曲線と供給曲線がいろいろな制約条件の中で、ミクロ市場がどう動くかを考えることです。ここに物価とか、株価とかもろもろがあります。民間の経済です。

 かつて、ある時、日銀の黒田元総裁が、マクロ市場における「家計」について言及しました。そうすると國民もメディアも大騒ぎ。あとでしなくていい解説を黒田さんがしていましたが、勉強不足の人たちが騒いで何になるんだろうか? まったく呆れてしまいました。政治家も官僚もメディアもそのことを説明しないといけないのに、彼らもマクロ経済がわかっていないので、話になりません。

 

 では、政府と民間の役割の区別とはなにか。政府は前述したマクロ経済の3つの市場を、太く強く大きく速く動かすことで、民間経済が動きやすくすることなのです。この観点から言うと過度なインフレの場合は別にして、増税や緊縮財政などはもってのほかです(後日)。

 

 そして、民間はその経済の中で需要と供給のバランスとる構図です。この30年のような財務省・日銀の人災的不況は絶対にだめです。また、インフレ時にインフレ政策をやった田中角栄もダメです。そういう時こそ増税をします。明治期を別にして、マクロ経済をわかっている首相は、池田勇人と安倍晋三しかいません。 なのに、日本のおバカな政治家は、ケインズは積極的な財政介入をしろと言っているというようなバカなことを言って、マクロ経済学を知らないメディアがそれをそのまま書きます。


 バブルときは支那に、今また海外に市場を求めて企業が利益を求めようとしています。日本の緊縮増税市場では儲からないので。何度、同じ失敗を味わえばいいのでしょうか? 歴史をもっと勉強しろよ。これでは我國は人治國家です。國家のことよりの官僚たちのイデオロギー(思い込み)を重要視しています。

 

江戸時代268年間でもマクロ経済がわかっている人は、荻原重秀と田沼意次だけでした(大岡越前もわかっていたが活躍の場がなかった)。荻原重秀は新井白石に、田沼意次は松平定信に、筆舌に尽くしがたい酷い目にあって失脚しています。他の人がやった三代改革は全て失敗しています。

 

 昔、イギリスにアダム・スミスという人がいました。経済学の父です。その人が、政府はいらんことするな。と言っています。神の見えざる手で自然と経済が発展していくのだと。ただ、時々、市場の失敗が発生します。その時に政府は入ればいいと。でも、今の日本は、市場の失敗が起きているのではなく、政府の人災的な失敗です。

 

ケインズという人もイギリスの人です。彼もアダム・スミスの信奉者ですが、不況の時には政府が積極的に介入し、それが終わったら政府は徹底せよと言っています。

 

 なのに、日本の愚かな政治家は、ケインズは積極的な財政介入をしろと言っているというようなバカなことを言って、経済学を知らないメディアがそれをそのまま書きます。國民が騙されます。

 

 立憲君主國とは苦しいですね。君主は政治には一切口を出さず、それを皇室も認める世界です。口さがない人は、最終的な結果を天皇の責任にしたがります。これはいずれ書きます。私たち主権者國民はその辛さを知っておかなければなりませんが、憲法とは言えない日本憲法「典」がその日本の在り方を否定します。世界で一番立派な人類みんなが憧れる立憲君主國なのに。(つづく)

 

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このページは、宝徳 健が2025年5月13日 02:06に書いたブログ記事です。

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