平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10074通目です(後で数えなくていいように)
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/8
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
https://batonz.jp/partner_
やっぱりくさ、タイトルは「徒然草」やなくて「つれづれなるままに」がよかろうが。なんか、流れるような感じがせんや? えっ、せんって? 笑笑。まあよあたい。
昨日は 12,620歩/70分ったい。180歩/分。勉強と仕事のスケジュールがうまく回ったと。それとくさ、朝、昼、晩げな歩くとやなくてくさ、朝に3,000〜3,500歩あるくとくさ、昼に多く歩けて1万歩いくばい。60分で。そしたら夜の歩きに時間が取られんけん勉強と仕事のスケジュールが周りやすいったい。ばってん、ここに出かける仕事が入ってもくさ、宇佐美の親父さんのごと、きちんとルーティンばこなせるかどうかの自分の問題ったい。結局、環境とか他人とかやなくてくさ、自分の弱さが一番の原因ったい。
敵は己れ ただ一人たっい 一生かかって これに打ち勝て
お天道様、今日も良か一日ば過ごしますけんみとっといてください
1.SNS時代のラブレター
朝ドラのあんぱんのくさ、江口のりこさんが、ご主人と結婚する時はくさ、結婚式の当日に初めて、ご主人と会ったばってん、「ご主人はくさ、結婚してから私に手紙(ラブレター)ばくれた」げな、三人の娘さん人に話しとったっちゃん。そしてくさ「お母さんも、結婚してから恋愛したのうよ」。いいですね〜このシーン。義務的に手紙を書けばいいとかではないけど、「波うららかに めおと日和」でも、お互いにラブレターのやりとりをしていますよね。この手紙のやり取りのシーンは、ドラマより原作の漫画の方が素敵です。そして、漫画の方が少しエッチです。でも、女性が書いた漫画のエッチなのはなんかほのぼのしますね笑(知らんけど)。
買っったばい笑笑。
俺たちの時代もくさ、告白の手段は「ラブレター」ったい。それも下駄箱に入れるとが多かったとって。俺は硬派ば気どっとったけん、そげな体験はせんやったばってん、みんないつの間にか付き合いよろうが。どげんして付き合うとかいな〜げな考えとるうちにくさ、社会人になるまで恋愛未経験に終わっとろうが。せっかくくさ、博多の田舎(今は都会ばってん)からくさ、花の都東京(当時はそげん呼んどった)に出てきたのにくさ、浅草花やしきしか遊ぶところば知らんやったとって。ディスコやら行ったら目がくるくる回るしくさ、男女で喫茶店に行ったりくさ、合コンやらに無理やり引っ張っていかれた時もくさ、「なして、俺より金持ちの女性の分まで俺が払わないかんとや。これやったら養老乃瀧で、しめさば食いよった方がよかったばい」げなまじで思ったとって。あっ、養老乃瀧げな、若い人は知らんかね笑。
話が飛んでしもうたばい。ばってん、そのぐらい女性と付き合うのはくさ、少なくとも俺にはハードルが高かったとって。俺が初めてラブレターば書いたのは28歳の時に今の嫁さんに告ったときたい。はずかしか〜。
今は、どげんしよると? ラインで告ると? フェイスブックで「いいね」ば押すと? 味気のなか〜。
昭和のことば話すとくさ「今は、そんな時代じゃない」げな言われるばってん、昭和の方が「情緒」やら「切なさ」があったような気がするとは俺だけかいな?
スマホも何もなかけんくさ、待ち合わせの場所やら言い間違えたり勘違いばしたりしたらくさ、もう会えんったい笑。慶應義塾の中庭にくさ、大きな銀杏の木があるとって。みんながくさ、その銀杏の木ば、「おおいちょう」げな呼んどったとて。俺の友人がくさ、好きな子ができてくさ、告ったとって。初めてのデートの待ち合わせば「おおいちょう」にしたったい。そいつはくさ、義塾の中庭の大井町で待っとったったい。ばってん待てども暮らせども女の子がこんめいが。どげんしたとかいな〜、どげんしたとかいな〜げな思いよってくさ、結局その日は会えんやったとって。
女の子はくさ、京浜東北線の「大井町」の駅と思ってずっとそこで待っとったげな。ばってん男がこんけん、駅の黒板(駅には必ずあったと)にくさ「2時間待ちました。◯◯」やら書いてくさ、帰ったったい。活躍したのは駅の黒板だけったい。えっ? 二人のその後は? 「波うららかに めおと日和」風に言うばい。軍事機密ったい笑。
ばってん、当時は、そげな経験は別に恋愛やなくてもくさ、枚挙に暇がなかったろうが。
それにくさ、「波うららかに めおと日和」は、なつみさんがくさ「たきまささま」げな呼びよろが。よかね〜。
今はくさ、女性が男性を呼び捨てにしよろうが。いつの間にかそうなっとった。俺はくさ、もし女の子が俺のことを呼び捨てしたらくさ、もう二度とその子とは口ば聞かんめいや。俺も女性のことば呼び捨てしたことは「基本的には」なかとって。彼女にしかしたくなかったけんね(おらんばってん)。義塾のテニス愛好会に入っとったバッテン、そこはフランクなクラブでくさ、後輩の女の子は呼び捨てにするとた当たり前やったけん、何人かにはしたばい。くやまれるったい。嘘つきの硬派ばい。俺は涙。あっ、そういえばそのクラブでも、同期はニックネームか、さんづけか、ちゃんづけやったねえ。まあ、こげな話で、こげんたくさん書いてしもうた。まさに「つれづれなるままの」ったい。
イイね押し 深く知らずに 付き合うは 安易な出逢ひ 安易な成り行き
げな、思うとは、当時でも俺だけだったのかもしれない涙と笑。
俺だけが 硬派きどって バカみたい 周りはみんな そうではなかった
2.相手の目的ば読む
よくある話ばい。ばってん、最近俺もやってなかったばい。
コンサルばしとるとくさ、大きな優秀な会社がくさ、たとえば資金調達ば頼んでくることがあるとって。今回、一つあったっとって。なしてこれだけ、売上高も高かし、営業利益立もりっぱで理念もしっかりしとるし、技術力もある会社が、なして、資金調達を頼んでくると? 社内にそれなりの社員もおろうもん。げな思うったい。こう言う会社に「一緒に事業計画ば作って金融機関に持っていきましょう」べな言ったらくさ、その瞬間に仕事は終わるばい。
ビジネスはある意味戦いやけんね。
戦闘も同じったい。まず、自分の「目的→目標→手段」ば考える前にくさ、相手の「目的」ば探ってそれを打ち倒すために自分の「目的→目標→手段」ば作らんと大変なことになるばい。会社はまだ「すみません」で済むかもしれんばってん、戦闘では、自分たちが壊滅するけんね。国民が蹂躙されるったい。
喧嘩ったい喧嘩(良い意味での)。世界の軍隊ではこれを「任務分析」げな言うったい。
だけん、今回のビジネスの件は、じっくり調べたとって。その会社のこととくさ、業界環境(世界的なものも含めて)とか、競合環境とか、取引先環境とか、なして、去年だけおこげん営業利益が高かかとやとかくさ。正解かどうかはわからんばってん、それに近い相手の目的が読めたったい。
だけん、こっちがぶつけることに対しての目的も目標も手段も最初考えとったこととはかなり違ってこようが。本当はそれぞれの経営者の性格とか思考とかも知りたかったばってん、それも予想するしかないと。これまでの企業経営の推移からして(だから歴史DDが大切)。M&Aの時やらもっと必要になろうや。相手によっては騙し合いになるけんね。
面白か〜。やっぱり喧嘩は楽しか。
相手との 真剣勝負の せめぎ合い これぞビジネス これぞ戦い
3.中学生の人殺し
平成十二年(2000年)十二月三十二日に世田谷一家殺人事件が起きたとって。そのくさ、酷か殺し方とその後の犯人の子とした現場での残忍な行為ばみてくさ、信じられんやったっとって。日本人がこげな犯罪ば犯すげな思ったことがなかったけん。
そげんしたらくさ、平成十五年(2003年)六月二十日にくさ、今度は支那人留学生が福岡県福岡市東区で福岡一家殺人事件ば犯したろうが。夫婦と11歳の男の子と8歳の女の子が惨殺されたったい。
この2件だけやなかばい。あいつらは、日本人ではくさ、考えられん殺し方をしようが。昔、通州事件で殺したげな方法で(残酷すぎてここには書けんばい)。あいつらは人間に対する基本認識が違うとって。他人に対しては「傷つけるもの」「殺すもの」げな感覚がどこかにあろうが。
話は変わるばってん、もう少し時代ば遡るばい。今の、マイナンバーげなとを出そうげな政策があったとって。なんて言う名前か忘れてしまったばってん。そげんしたらくさ「国民に背番号ばつける気か(国民そう背番号制)」げなこと言ってくさ、朝日新聞が大騒ぎしたとって。表だって言われんばってん、これの本当の目的は、日本に住む外国人の犯罪防止ったい。それを朝新聞が叩き潰したけん、世田谷一家とか福岡一家の事件ばおきたとって。ったく、日本は朝日新聞ば言うことと逆のことばやったらうまくいくばい。あの嘘つき新聞ははよ廃刊したほうがよか。
アメリカやら言ったら外国人はすごか登録ばされるとよ。
そげんおもいよったらくさ、「誰でもいいから殺してやろうと思った」げな中学生が言ってくさ、八十四歳のおばあさんが殺されとろうが。二人は面識がなかったげな。千葉市の閑静な住宅街ばい。千葉にも四年間すんどったけん、場所はよかとこたい。
それとかくさ、十六歳の高校生が祖父母を殺したとかくさ、三宮で自称医師がくさ、女の人の襟ばつかんで転倒ばさせてくさ、背骨をおったとかくさ。昨日は立て続けにニュースば見たばい。
日本人の支那人化ったい。敗戦後の不埒な日教組の誤った教育ったい。教育の荒廃ったい。官僚による愚民化政策ったい。日本の素晴らしか本来の憲法を全く文章として反映しとらん憲法違反の日本国憲法「典」ったい。犯人は。
生きとったらくさ、自分に都合の悪かことの方が都合のよかことよりくさ、何倍もあろうが。それを辛抱するとが日本人やろうが。哀しくて哀しくてたまらんばい。
二十年前ぐらいのことやったかねえ。新幹線に乗ろうとしたら、修学旅行生がくさ、酷く騒ぎよろうが。はしゃぐのはよかばってん、常軌を逸しとったったい。だけん、引率の先生に注意ばしいやと言ったとって。そげんしたらくさ、「生徒の自由です」げな言うとよ。
それとかくさ、息子が小学生の時にくさ、ちょうど俺が家のおったら学校の先生から電話があったとって。「宝徳君が今日学校で喧嘩をしました」げな。俺は聞いたね「それで勝ちましたか?負けましたか?」げな。続けて行ったとって「そげなことでいちいち電話ばせんでください。相手に怪我ばさせたら、本人からよく理由ば聞いてもしこっちがわるかったら謝りに行きますけん」。先生が「そうしたらお宅には情報が入らなくなりますよ」げな言ったと。「そんな情報は不要です」げな俺は答えたったったい。それから、かみさんに「次の個人面談はいつや」げな聞いて、俺が個人面談に言ったとって。
行った時に俺やと気づいた先生はびっくりしよった。俺は先生に言ったと「先生、私と同年生まれの人間は260万人いるんです。彼と同年代の人間は120万人しかいないんです。もし、彼らの世代が私たちの世代と同じ能力で育ったら日本の国力は半分になるんです」げないったらその先生は緊張してぶるぶる震えとったばい。
その先生かどうかはわからんばってん、ある授業で生徒にいじめられたげな言ってくさ、ノイローゼで入院ばしとろうが。生徒の鏡となる教師が、生徒に負ける姿を生徒に見せるなと思ったやね俺は。
さあ、二十年経った今、日本の社会はどうなっとる? 確かにいろいろなプログラミングとか英語とかの知識が向上しとろうばってん。人間として生きていくための「負けない」とかくさ「我慢」とかくさ「自分と戦う」とかくさに掛けとろうが。みんながみんなとは言わんばい。そういう奴らの割合が増えとろうが。考えられんような事件が起きとろうが。愛する日本はどこに行ったとや。
哀しくて ああ哀しくて しかたない 愛する日本 衰退の姿
コメントする