博多弁じじいのつれづれなるままに:ちょっと良か話(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月二十日 火曜日)2

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10092通目です(後で数えなくていいように)
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 昨日は10,223歩/60分ばい。まあまあったい。

お天道様 今日もどげな辛かことがあっても
お陰様の気持ちで良か一日にするけんみとってください


1.結婚記念日
  今日はくさ、俺とかみさんの結婚記念日ったい。平成元年(1989年)五月二十日ばい。こげなきれか人と結婚してもよかとかいなと思ったばってん。今は、頭に角が生えてくさ、目から光線が出てくさ、口から火ば吐くばい。怖くてたまらんめいが。長い時間続くとよ。

 ばってん、こげんしてしまったとは俺ったい。喧嘩もようするばってん、考えてたら、俺が今、喧嘩ばする相手はかみさんだけったい。どっちかが先に死んだら、そのどっちかは誰と喧嘩すればいいと? 寂しかろうねえ。怒ると怖かばってんやさしかとよ。夫婦げないうとは不思議なものやねえ。喧嘩してもすぐになかったようになってくさ、普通に話そうが。俺は、彼女に償いばせないかんね。仕事ももう一回やりなおしやし、償いもやりなおしったい。交通事故の後にくさ、どうにも食欲がなくなってくさ、物が食べられんごとなったっとって。ものすご痩せたっとって。その時もくさ、かみさんの料理だけは食べられたと。だけんこれからの俺ば、
                               たけしTAKE2

げな、よんじゃりやい。TAKE2(テイクツー)は映画用語ったい。やりなおしったい。結婚三十六年ったい。忘れやんなよ。たけしTAKE2ばい。
2.可愛いか子
  この前くさ、雨が降っとったけん、甲子園ららぽーとの中ば歩きよったとって。2階をずっと端から端まで歩こうが。2階の端まで行ったらくさ、一階に降りるとって。降りたらくさ、一階の端まで歩くったい。それを二往復ばするとだいたい4kmぐらいったい。これで5,700歩ったい。家からくさららぽーとまでが往復2,000歩ぐらいったい。家で1,000歩ったい。まあ、雨の日はくさ、最低これで8,700歩ったい。

 ららぽーとば歩きよった時にくさ、ちいさか子がすわる小さか車みたいなのに乗った、こまかか(小さい)女の子(2歳ぐらい?)がくずりよった(泣いてた)とって。お母さんも困りようみたいやったと。だけん、話しかけじじいの俺はくさ、まず、手ば振ったと。お母さんにやなかよ。しらん人やけん。そしたらくさ、かわいか子が泣きがら笑顔を作ってくさ、俺に手ば振ってくれるとって。その笑顔&涙の顔が可愛かろうが。だけんくさ、話しかけじじいの本領発揮ったい。「可愛い子は泣いちゃいけなんだぞーーー。可愛い子なんやろ」げな言ったらくさ、泣き止んで笑顔だけの顔のなったとって。それがまた可愛かろうが。こまか子供は可愛かね〜。それから少しお話ばしてくさ、バイバイしたと。そしたらくさそのバイバイがまた可愛かろうが。たまらんめいが。いわせんめいが。

小さな子 笑顔が可愛い 小さな子 バイバイする手も 笑顔も可愛い

3.博多仁和加
 博多にはくさ、博多にわかげないう、おもしろ話があるったい。ちょっとエッチな時もあるし、ちょっと皮肉なときもあるったい。今の博多では、lこげん面白かことば少し低迷ばしとるばってん。博多の素敵な文化ったい。俺もあんまりしらんちゃん。ちょっと練習してみろうかね。あっ、博多名物の「にわかせんい」はくさ、この博多仁和加ばしゃべる人がかぶっとんしゃあとって。

 

 箱の裏には博多弁講座もあるばい笑。

 こげなやつったい。東雲堂(にわかせんぺい)さん(を売っとるとこったい)。勝手に写真ば使うばってん許しちゃりやい。地域の宣伝やけん。「にわかせんい」ばい。「にわかせんい」やなかとよ。東雲堂さんはくさ、明治三十九年(1906年)創業ばい。創業119年ばい。創業当時は竹屋やったげな。それが饅頭屋に商売替えしたと。博多駅前の三角形の土地にくさ「三角屋」げな名前で店ば開いたと。その時に、博多駅の駅長さんにくさ、博多らしかお土産が作れんかと相談ばうけたと。それで考え出したのが「博多仁和加(博多にわかをはなすときにかぶるお面)」の半面をモチーフにした「にわかせんい」ば考えついたったい。偉かね〜。すごかね〜。

  俺がまだ小さくて(二歳ぐらい)大阪に住んどるときに博多に遊びに行ったときのことったい。あんまりかわいかお菓子やけん、陳列ケースのにわかせんいばみてくすくす笑いよったげな(俺は覚えとらん)。そしたら、店員さんがそれば見てくさ、「かわいい〜」げな言ったらしいとって。そしたら、俺が恥ずかしくて泣いたげな。店員さんが「ごめんごめん」と言ってくさ、ちいさかにわかせんいばくれたげな。

こげなと。おめんが通常サイズったい。にわかせんいはおいしいとよ。良か小麦粉ば使っとうしゃあとって。博多に行ったら買いやいね。

さあ、博多仁和加にチャレンジばい。おれの博多弁ももう少し鍛えられようや。古か良き博多弁ったい。

 例えばこげなとたい。

「おれと彼女がベンチで仲ようしよったところがどうかいな。そばの木でセミの鳴きよった」
「そらあ、おおかた、そこのところは、せみぃ、見られとるばい」
「そげなことはなか。せみぃ『みたろう?』て聞いてみたところせみが言いよった。『見ん見ん(ミンミン)』て」

 こげなとはどうや? 俺のチャレンジったい。毎回、例とくさ、練習ばした俺が挑戦した博多にわかば書くばい。

「江藤さんとかいう、政府の偉い人がおろうが。この人が、『俺は米やら買ったことがなか。みんながくれるけん売るほどあるばい』げな言うとって。なしてかいなあ。なしてみんながくれるとや」
「そらそうくさ、たくさん(拓:江藤さんの名前)あるけんったい」

 へたくそか〜。いかんばい。今日一万歩歩く時に考えるばい。

素敵だね あちこちにある 出逢ふこと 小さな国の 豊かな文化

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このページは、宝徳 健が2025年5月20日 01:09に書いたブログ記事です。

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