平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10056通目です(後で数えなくていいように)
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さあ、大祓詞の後半半分を逆読みで超訳しました。そこに書いてあることは我國は、世界でたった一つの
許す国
だったということです。
では、なぜ、許す国か。それが我が日本の国体
しらす
ただ、日高見国から始める皇室の歴史は、そんなにすんなりできたのではありません。そのために様々なことをやってこられました。まず、自分との戦いです。それが
八咫鏡(やたの鏡)
であったことは昨日申し上げました。今は、大祓詞の前半に書かれている「しらす」という国体に移る前に必要な基礎知識を整理しています。 今日は、三種の神器 草薙の剣の話をし、武とは何か、いつも自己を振り返るのはなぜか、そして、八尺瓊の勾玉の話をします。
そして、次が、平和で平和で平和で、対人用の武器がひとつもなかった1万年間の縄文時代でしたが、温暖期から寒冷期に移って、氷が張り、支那大陸から他国では当たり前の人殺し軍団が我が日本にやってきました。


「しらす」という国体を護るためには綺麗ごとだけではダメです。天つ神は悩みに悩みました。どうやったら「しらす」における戦いをやることができるか。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、高天原を追い出され、出雲に行きました。そこでクシナダ姫を食べてしまおうとする八岐大蛇と対決します。勝利を収めた素戔嗚尊は、八岐大蛇の尻尾を切った時に出てきた「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」です。後の草薙の剣です。三種の神器です。
出雲は鉄の産地でした。そして古代の為政者は土木工事による川の氾濫などを抑えることがとても大切でした。八岐大蛇とは川の氾濫です。それを素戔嗚尊は解決したのでしょう。そして、出土した鉄から「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」を作りました(天叢雲の剣が草薙剣と呼ばれるようになったの経緯は後日)。
時を経て、支那大陸の人間が平和な日本を襲ったのが、海彦山彦の際や、大国主命が兄たちに何度も殺された際です。海彦山彦の時に、海彦の攻撃を経て、天つ神は武力が必要なことを知ります。それで、天照大神の「創造神」の他に素戔嗚尊の「破壊神」を産んだのです。素戔嗚尊はその姿を変えながら「しらす」実現に苦心している皇室を助けます。
そして、何度も何度も戦いなたらピンチをししのぎました。神武天皇(カムヤマトイワレビコトノミコト)が「しらす」を実現する力を持った時に。八紘一宇という言葉を、世界制覇だと馬鹿なことを言い切る人がいますが、こういう経緯を経てきたので、「みんなで仲良くなる家のような国を前のように作りましょう」という建国の理念です。世界平和だとかいう人は本当に愚かです。こんな時代に世界平和など、カエサルでさえ実現できるはずがありません。
「八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(せ)む」
そして平和のシンボルとして八尺瓊の勾玉:やさかにのまがたま(日高見国の人たちがなんかしてバラバラになった時、勾玉をお互いに持ってこれを持っている人たちは争わないでおこうと決めた)が三種の神器になったのです。
天照大御神の三代神勅からはじまり、神武天皇の八紘一宇の教えをベースに「しらす」を続けれこられました。その後も何度も何度も苦難が続きますが、中世において天皇家は「一切の権力を捨てられました」。なので、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国(しらすとの戦い方)ができました。支那共産党などはこれが悔しくて仕方がありません。共産主義国家はなんとか天皇家を潰そうとして、敗戦前には人(スパイ)を送り込みました。
我が国は、「しらす」という国体を護るために非常にきつい思いをしてきた国なのです。
これが我國の憲法です
憲法が 捻じ曲げられた 憲法「典」 真の憲法 もどるのはいつ
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