平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10061通目です(後で数えなくていいように)
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大祓詞の昨日に続く文です。
「我が皇御孫の命は、豊葦原の水穂の國を、安國と平らけく知ろしめせと」
皇御孫の命(すめみまのみこと)とは、天照大神の孫です。「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」と言います。「豊葦原の瑞穂の国」とは、日本の別名です。豊かに葦にに覆われた、米が取れる(みずほ)の国です。
この「知ろしめせ」が日本の国体「しらす」です。なので、大祓詞の後半部分には、背織津比賣(せおりつひめ)にお願いする前に天つ神も国つ神も障害物をかき分けて、民の実態をよく知りなさい(しろしめしなさい=しらす)」と書いてありました。
天照大神は最初は、息子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に我が日本を統治させようとします。でも、それを天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が嫌がったために瓊瓊杵尊に「天孫降臨(てんそんこうりん)」をさせました。
では、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)は高天原でのほほんと暮らしたの? というのは違います。ちゃんと福岡県の大分県との県境にある「英彦山神宮(ひこさんじんぐう)」に降り立っていたのです。どんな人でも我が日本は救います。すばらしい神宮ですよ。もう霊験あらたかなのがビンビンときます。夏に行っても寒いですけどね笑。
先ほど誰でも救うと申し上げましたが、イザナギノミコトとイザナミノミコトが最初にエッチして生まれた子供は未熟児でした。二人は悲しみに暮れながらその子を川に流します。だけど、民の誰かに救われて、きちんと恵比寿さま(事代主命:ことしろぬしのみこと)として、島根県松江市の美保神社に祀られています。恵比寿さまの総本山です。航空自衛隊美保基地があるところです。
閑話休題。その時に、天照大神は「しらす」のことを三大神勅にして瓊瓊杵尊に知らしめます。
<三大神勅>
天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者であり、清く正しい統治(しらす)をする限りそれは永遠に続く)
斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作国家である)
宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよとつげました)
斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作国家である)
宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよとつげました)
敗戦前なら小学生でも知っていたことです。
皇室は、この「しらす」を実現するために支那大陸の良いものは時間をかけて取り入れましたが、そうでないものは、一切、受け付けませんでした。殺戮・拷問・纒足・科挙などです。
明治時代に、その中で科挙(高等文官試験)だけを受け入れてしまいました。官僚政治が始まりました。官僚は、しらすではなく「うしはく(支配する。自分たちのために所有する)」です。
さて、明日に続きます。
しらすといふ 国の在り方 知るために 与へし教へは 三つの神勅
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