秋武家(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月九日金曜日)3

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 叔母(母の妹:洋子)から手紙が来ました。
「こんにちは。只今、たくさんの写真等の片付け中(健:まだあるんだ笑)。でいちいち見るし、捨てられなくて戻したり、写真整理はもう第三弾目にかかっているのに、なかなか出来ません。健ちゃんにちょっと見てもらって処分してもらえたらと送ります。広い紙は岡垣(福岡)の昔、洋館式の家、病院でした。お墓参りには今思えば柏原(福岡県遠賀郡芦屋町柏原:遠賀川の河口の街)からずいぶん歩いてこの家で過ごしました。門司の同い年の子と寝転んでお菓子を食べていたら叱られちゃった。

(写真の)尺八を吹いているのがおじいちゃん(私からみてそふ。洋子姉ちゃんから見ると生まれてきてからお父さん笑)です。東筑中学(旧制ですから今なら東筑高校:校区ではNO.1の高校)の時でしょう。遠い道のり、自転車で通学するのに、御飯にお酒かけて食べて行ったそうです。京都大学(おそらく医学部)に行っていたけど、医者になったら先斗町の養子にということになっていたので(京都大学を)やめて早稲田に行きました(家出したので苦学生だったようです)。

 今津の日赤病院の院長だったおじさんの奥さん(おじいちゃんのお嫁さんになる予定だったそうです)が。そのおばさん(しっかりしていてちょっぴり恐かったよ)が、昔の人は損得考えんで行動するからねえ、と言っていました。今はここは土地だけで荒れているけど、門の紅梅は最近まで咲いていたよ(洋子姉ちゃんの家の近く)。(こんな写真がん遺っているのですね。おじいちゃんは明治三十年(1897年)生まれだから旧制中学だから明治四十五年(1913年)ぐらいの写真ですね)。
(次の写真)皆で写っているのは、夏休み六甲山の(父の勤め先の)日本アルミの(おそらく)厚生寮に行った時のもの。帰りにゴミ処分で燃やしてたら陽が照ってよく見えないけど、チラチラと草に燃え移ってたのが見えてびっくりしました。まだお風呂の栓を抜いてなかったら、急いでかけて消したのだけど、あの時、気づいてなかったらと今でも時々恐ろしくなるんです。覚えているかなあ。だから火はすごく怖いわあ。ということで写真送ります。(中略)5月4日 ◯◯くん(息子)に彼女が現れないかなあと秘かに思っている洋子おばより」



 妹はまだ生まれていません。

 これはおそらく私が2歳で姉が4歳です。となると昭和三十五年(1960年)ですから、今から、六十年前なんで、覚えてないわ笑。何もなくてよかったね。母が28歳。洋子姉ちゃんが16歳です。

 父方の寳德家の家系図や歴史は父がよくまとめていて生前教えてくれましたからかなり深いところまで、理解しています。四代前まで遡れます。

寳德 真大(まさひろ:息子)
寳德 健(私:妻は幸代)
寳德 佳男(父:妻は汎子)
寳德 義一(ぎいち:祖父、祖母はツイ) あっ、今日、四月二十五日が祖父の誕生日!!!
寳德 寳四朗(ほうしろう: 妻は、つる)
寳德 惣四朗(そうしろう:妻は、かの)

  だけど、母方の秋武家の情報は私にはほとんどありませんでした。今回、洋子姉ちゃんからこの手紙と写真をもらって、つくづく家族の歴史というのは、自分の人生の歴史であり、日本の歴史なんですね。

 祖父が、苦学で早稲田に行ったのは知っていました。でも、京都大学医学部に行っていたのは知らなかった。

 祖父は出光興産株式会社の創設者 出光佐三店主の末弟である、計助さんと東筑高校が同じで、大学は計助さんは東京高商(現 一橋大学)に行きました。下宿も二人は同じで、祖父はよく「計助のなあ、試験を代わりに東京高商に受けに行ってやってたんだ。あいつは俺に頭があがらないんだ」と言っていました。大袈裟に言ってるんだなあと思っていましたが、京都大学医学部に行っていたなら信ぴょう性が出てきます笑。

 この柏原の家は、私も芦屋から岡垣に自転車で遊びに行った時によく通ってました。梅が綺麗だったのは覚えていますが、あの頃から廃墟ではなかったのかなあ。

 秋武家の家系が医者の家系だというのは知っていました。

 門司の秋武病院は、出光佐三店主が大病をした時に、入院した病院です。まだあるみたいです。すごいですね。

 あ〜。こういう方々の後に生まれてきて私は生きているんですね。祖先のことは知れば知るほど、嬉しい涙が溢れてきます。

今自分が 生きているのは 生かされて  常に誰かに 生かされている

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このページは、宝徳 健が2025年5月 9日 16:21に書いたブログ記事です。

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