平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10068通目です(後で数えなくていいように)
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
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昨日の歩数は7,952歩ばい。今日と明日でくさ今の状況にあったスケジューリングば作り上げるけん。勉強、仕事、探究、歩きのバランスばい。
お天道様、今日も良か一日ば過ごしますけんみとっといてください
1.月月火水木金金
子供の頃父から海軍の歌をたくさん習ったたい。その中でもくさこの歌はくさとても明るくてすごく好きやったばい
♫朝だ夜明け〜だ〜潮(うしお)の息吹〜
うんと吸い込む〜あかがね色の〜
胸に〜若さの〜みなぎるほこり〜
海〜の男の艦隊勤務
月月火水木金金♫
♫赤い太陽に〜流れる汗を〜
吹いてにっこり〜大砲手入れ〜
太平洋の〜波、波、波に〜
海〜の男の艦隊勤務
月月火水木金金♫
♫度胸ひとつに〜火のような練磨〜
旗は鳴る鳴る〜ラッパは響く〜
行くぞ〜日の丸〜日本の艦だ〜
海〜の男の艦隊勤務
月月火水木金金♫
♫どんとぶつかる〜怒涛の歌に〜
揺れる釣床〜今宵の夢は〜
明日の戦の〜この腕だめし〜
海〜の男の艦隊勤務
月月火水木金金♫
何十年ぶりに歌ったんだろう。子供の頃の歌って覚えていますよね笑。
あっ、今は、ダメか〜働き方改革=働かない改革やけん。
AIとかでてきてくさ従来の仕事時間は大幅に削減でけるばってん、何かで効率化できたらくさ新たな効果が発揮できる仕事がどの時代でも増えて雇用が笑。ほんなごつ(ほんとうに)働かない改革げないう愚民化政策でいいとかいな。「日本という国の競争力」げな観点で見たら。
2.魚は頭から腐る(歴史小説)
都から遠く離れた讃岐の地で、一人の僧が歌を詠んだ。そしてため息をつきながらつぶやいた。
「いろいろ怨みはおありでしょう。 一度は帝の玉座にお座りになったあなた様なのですから。しかし、亡くなられた今となっては、それが何になるのでしょうか。成仏なされませ。成仏なされませ・・・」
僧の名前は西行。怨霊となって皇室に災いを振りまこうとする、今は亡き ◯◯◯◯の霊を慰めにきたのだった。
西行は、ふたたびつぶやいた。
「まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」
白河上皇はもちろん、もうこの世におわさない。
第七十二代白河天皇は、最愛の中宮(皇后)であった、藤原賢子(かたこ)を亡くされて、大いに悲しむようになった。その後、しばらく夜伽をする女御はいなかった。
宮中にあがる女御は、みなそれなりの格式の家の出身である。特に天皇のお手がつく女御は、みなそうである。ところが、白河天皇は、あるきっかけで、身分の低い女性を愛された。祇園女御という。身分が低いままでは、宮中に迎え入れることができない。白河天皇は、大納言藤原公実(きんざね)の手元において養わせた。そして、やがて白河天皇のお手がついた。名を藤原璋子(たまこ)という。後の待賢門院(たいけんもんいん)である。
「おうおう、璋子や。初いやつじゃ。近こう寄れ。」
白河天皇は、毎夜、璋子を離さなかった。
「さて、璋子をどうしたものか。いつまでも手元においておきたいしのう。そうじゃ」
天皇の位を譲った、白河上皇は、こともあろうに、璋子を自分の孫の第七十四代鳥羽天皇の中宮としてしまった。
鳥羽天皇の中宮となってからも、白河上皇と璋子の情事は続いた。そして、子が生れた。もちろん、父親は、白河上皇である。
「ほっほっほ~、これで璋子の子供は後々、玉座に座れるのう」
この白河上皇の閨房の乱れが、後に、貴族政治が終わりを告げ、武家の政治が台頭し、長い長い間、明治の御代まで親政を待たなければならない事件へのプロローグとなるのであった。(つづく)
さあ、みなさん、誰のことば言っといるでしょう。何回かに分けて書くけんで当ててみてやいて。
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん
都から遠く離れた讃岐の地で、一人の僧が歌を詠んだ。そしてため息をつきながらつぶやいた。
「いろいろ怨みはおありでしょう。 一度は帝の玉座にお座りになったあなた様なのですから。しかし、亡くなられた今となっては、それが何になるのでしょうか。成仏なされませ。成仏なされませ・・・」
僧の名前は西行。怨霊となって皇室に災いを振りまこうとする、今は亡き ◯◯◯◯の霊を慰めにきたのだった。
西行は、ふたたびつぶやいた。
「まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」
白河上皇はもちろん、もうこの世におわさない。
第七十二代白河天皇は、最愛の中宮(皇后)であった、藤原賢子(かたこ)を亡くされて、大いに悲しむようになった。その後、しばらく夜伽をする女御はいなかった。
宮中にあがる女御は、みなそれなりの格式の家の出身である。特に天皇のお手がつく女御は、みなそうである。ところが、白河天皇は、あるきっかけで、身分の低い女性を愛された。祇園女御という。身分が低いままでは、宮中に迎え入れることができない。白河天皇は、大納言藤原公実(きんざね)の手元において養わせた。そして、やがて白河天皇のお手がついた。名を藤原璋子(たまこ)という。後の待賢門院(たいけんもんいん)である。
「おうおう、璋子や。初いやつじゃ。近こう寄れ。」
白河天皇は、毎夜、璋子を離さなかった。
「さて、璋子をどうしたものか。いつまでも手元においておきたいしのう。そうじゃ」
天皇の位を譲った、白河上皇は、こともあろうに、璋子を自分の孫の第七十四代鳥羽天皇の中宮としてしまった。
鳥羽天皇の中宮となってからも、白河上皇と璋子の情事は続いた。そして、子が生れた。もちろん、父親は、白河上皇である。
「ほっほっほ~、これで璋子の子供は後々、玉座に座れるのう」
この白河上皇の閨房の乱れが、後に、貴族政治が終わりを告げ、武家の政治が台頭し、長い長い間、明治の御代まで親政を待たなければならない事件へのプロローグとなるのであった。(つづく)
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