博多弁じじいのつれづれなるままに:良か話(皇紀 弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月二十八日 水曜日)3

| コメント(0) | トラックバック(0)
平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在100126通目です(後で数えなくていいように)
このホームページをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenr

 ふ〜0330(まるさんさんまる)まで寝ていた遅れはこのブログで取り戻したばい。もっと加速せな。

お天道様、今日もよか日にしますけん観とってください

1.やっちゃん
 やっちゃんはヤクザのおっさんやなかよ。そげなチンケなやつやなくてくさ、ものすごい素晴らしか方ったい。身体障害者(脳性小児麻痺)の康文くんがいたと。病気でついに左目しか動かんくなったと。それでもくさ、学校の先生が何か「遺して」あげたかと、本を書き始めたったい。その時のくさ短か詩ったい。

 先生がが言葉を言って、合っとったらウインクひとつ、間違っとったらふたつ(逆だったかもしればい)やっちゃんが瞬きばすると。この短か詩ができあがるとにどんだけ労力と時間がかかったか。そして、先生はがやっちゃんの一生(十五年)を本にしたったい。


 弊社蔵書より。

  俺たちは普通に歩こうが。俺たちは一人でトイレに行こうが。俺たちは美しか風景ば観ることができろうが、俺たちは好きな人の声ば聞こえようが。音楽も聞けろうが。

 ばってん、こん(この)人たちは一人でトイレに行きたか〜。散歩ばしてみたか〜。美しい風景ば観たか〜。好きな人の声ば聞きたから〜。美しい音楽が聴きたか〜げな思ってもくさ、それがかなわんとって。生きたかと思うことさえかなわんったい。

 涙ば拭くタオルば用意しときやいね。ハンカチでは足らんばい。今から書くことは。

 やっちゃんは、昭和三十五年(1960年)六月二日に生まれてくさ昭和五十年(1975年)六月十一日になくなったったい。十五年の短かか人生ばってん。普通の人の何年分の価値がある人生かわからんぐらい尊いばい。


 素敵な笑顔ばい。ありがとう。感謝合掌。知っとる人も多かろうばってんま一回(もう一回)読んじゃりやい。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10011

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年5月28日 09:16に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「修行じじいのAI純情2(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月二十八日 水曜日)2」です。

次のブログ記事は「博多弁じじいのつれづれなるままに:お小言(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月二十九日 木曜日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。