千夜一夜物語10(皇紀弐千六百七十八年 令和七年(2025年)五月二十七日 火曜日)

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 総督が「何か面白いことを話したら許してやろう」と言ったところまででした。

 こうなったら、何か面白い話をして総督の機嫌をとるしかありません。

 まずは、仲買人です。
 「私がエジプトのカイロで商売をしておりましたときのことです。あるとき、とてもハンサムな、立派な様子の若者と知り合いました。裕福な家の息子で、たっぷりお金を使って儲けさせてくれるので、お返しにご馳走をふるまっていました。ところが、食事をするときになると若者は、身分の正しい人なのに左手をつかって食べます(イスラムの世界では左は不淨。人前に左手を差し出すことはこの上なく失礼なこと)。そのことを尋ねてみると、なんとその若者には右手がなかつたのです。そして、若者が右手を失うまでのいきさつが、興味深いことなのです」

 ここでちょっと脱線。日本では右手より左手優先です。世界では力のある右手が尊ばれます。日本では、右大臣より左大臣の方が位が上です。これは古事記が日本は平和国家だということを古典から主張しているのです。神話は祖先の遺言です。

 イザナギノミコトが、奥さんのイザナミノミコトが亡くなったのが悲しくて仕方がなく、黄泉の国へ行って帰ってきてくれと頼みます。イザナミノミコトは、もう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので変えることはできないと言いました。でも、読みの国の神様に聞いてくるから待っていて。その間、絶対にこちらをみないでね。と言いました。長い時間待っていてもいっこうにイザナミのミコトが来ないので不審に思ったイザナギノミコトは振り返ります。するとイザナミノミコトが黄泉の国の鬼とセックスをしているではないですか。(中略)イザナミノミコトと鬼に追いかけられたイザナギノミコトはなんとか逃げ切ることができました。その時、禊(みそぎ)を川でしまた。左目を洗ったら天照大神が左目を洗ったら月読命が(月山祀られています)、花を洗った時に素戔嗚尊が生まれました。つまり、我國最高神が最初に左から出てきたのです。左優先なんです。世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本は。

 閑話休題。

  仲買人の話がつづきます。右手を失つた若者の話です。

  その若者はカイロの商人でした。ある日、立派な身なりをした婦人が店先に立ちました。婦人は、そっとヴェールをあげました。黒い瞳、その面差し。若者は、もうくらくらしてしまいました。

 婦人は初めての取引なのに、信用取引を申し出ます。若者はあまりの婦人の美しさに心を奪われ、応じてしまいます。

 それからは、もう婦人に心を奪われ夜も眠れません。

 數日後、夫人は、ふたたち若者の店にあらはれ、代金を払ってから云いました。

「どうか私の家に遊びに来てください」

 若者は、もうたまりません。一張羅の服を着て、香料をふりかけて、夜が来るのを待って女の館に行きました。

 館は筆舌に尽くしがたい豪華さです(割愛)。

 豪華なご馳走のあとは、めくるめく快楽の夜。二人は夜を徹して抱き合いました。

「今度はいつお会いできるのですか?」
「今夜にでも」
「お待ちしてゐます」

 律儀な若者は、ご馳走になってばかりでは申し訳ないと多額の金子をベッドの下において帰りました。

つづく18

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このページは、宝徳 健が2025年5月27日 00:56に書いたブログ記事です。

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