屈辱の日(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月三日 土曜日)

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10054通目です(後で数えなくていいように)
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。

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  昨日の歩数は9,765歩でした。いつもは今何歩か時間ごとに意識をしているのですが、今はGWの勉強合宿なので、意識はしませんでした。でも、このくらい歩けるのですね。

  だけど、勉強がいかん。このままでは来年落ちます。決めたことをやれよ。健、お前は自分に甘すぎる。勉強をするのではなく、二つの試験の勉強の仕方を早く確立せんか。そうしたら、仕事の合間にも短時間勉強がしやすくなるだろうが。超速視聴読の準備を二つの試験の全項目分を速くつくれ。馬鹿者。

お天道様、今日こそは最高の1日ば過ごすけん、よおと見張っとってください

  さて、日本には、武を使わないで我國を救った英雄が一人います。
※英雄とは国を救った人 偉人とは立派な功績を成し遂げた人

 天才、井上毅(いのうえ こわし)です。


  子供の頃から探究型学問をおさめるスタイルを確立させた井上は、数々の功績の後、教育勅語の草案にかかります。それにあたって、日本人が忘れていた、我が太古からの日本本来の歴史を徹底的に探究しました。明治天皇が発布される教育勅語です。一つの誤りもあってはなりません。

 そこで彼は、
国体 しらす

  を見つけ出します。歴代天皇陛下は、もちろん「しらす」の存在はご存知です。だけど、自分の口から言ってしまっては、国民に対する強制になるのです。支那がまだまともであっただろう、古代には、堯と舜と禹という理想の王がいました。彼らは、国民から自分の存在自体も忘れ去られることが理想だとしました。支那大陸では壊滅していたことを我が国陛下はこれを永きに渡り実践されていました。まさに理想の皇帝なのです。

  閑話休題。井上毅は大日本帝国憲法も草案します。彼が最初に作った大日本帝国憲法第一条は

大日本帝国は万世一系の天皇がしらすところなり

でした。まさに「この一言」でも憲法「典」はいいくらいです。すべてを著しています。彼がいなかったら我が国はどうなっていたかわかりません。

 教育勅語は、明治天皇が東京大学を視察に行った時に「しらす」が全く亡くなっていたことに国の将来の危険を感じました。森有礼などは、日本語を廃止しようとまで思っていました。そして、側近に教育勅語の作成を命じました。明治二十三年(1890年)十月三十日に発布されました。

 付け加えておきますが、共産主義左翼リベラルの人間は、教育勅語は国会で廃止されていえると言っていますが、勅語は国会では廃止できません。だからまだ生きています。

 教育勅語があれば、教育基本法など不要です。世界各国も絶賛した内容です。

 何が言いたいか。憲法とはその国の国体・歴史・文明・文化等です。それに緊急事態条項(立君主国の緊急時代条項はまた後日)を加えて。

 それを表現したものを「憲法典」と言います。なので今の日本国憲法「典」はこれそのものが「完全なる憲法違反」なのです。国民がこれを理解をせずに憲法「典」改正論議をするのは私は反対です。原理原則にあいません。

 今の、官僚や法曹界の人間や大学で法律を学んだ人間はほとんどみんなが、我が日本の歴史を正しく学びもせずに「憲法と国(特に政府)の行動を縛るもの」だと思っています。なぜか、我國敗戦後の最大の国賊に「宮沢俊義」という大馬鹿者がいます。アメリカに脅され敗戦を境に言っていることを百八十度変えました。しまつが悪いことに彼は東大教授でした。そして、いつの間にか日本国憲法「典」の我國最高の権力者(権威者ではありません)になってしまい、いまでも、日本国憲法「典」を訳のわからないものにしてしまっています。(本人が亡くなってからも)。

 GHQ(特にマッカーサー)のメモをもとに約一週間で作成されたのが日本国憲法「典」です。

  今日はそんな憲法違反の憲法「典」が押し付けられた日です。何が記念日だ。悲しめ。

我が国の 歴史や文化を 考えず 占領政策 押し付けた日

屈辱を 忘れてしまった 国民が 危険な典を ありたがる

 まず

❶「典」ではなく憲法本来の姿を国民が知る
❷その上で日本国憲法「典」を改正する(というか大日本帝国憲法をもとに)
❸大日本帝国憲法にあった、緊急事態条項を陛下に戻す
❹国民が馬鹿な議論をしないために「憲典体制」に戻す(憲法典と皇室典範の分離とそれぞれの独立)。

 この正しいことを思っていてもおっしゃることができないのが陛下なのです。

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このページは、宝徳 健が2025年5月 3日 01:51に書いたブログ記事です。

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