日本のようになるな❶(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月十二日月曜日)

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10072通目です(後で数えなくていいように)
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。

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 昨日の歩数は8,101歩/55分でした。スケジュールはかなり変えました。生活習慣、仕事習慣を変えるのは意志が必要ですね笑。でも、できてきた。

          お天道様、今日も良か一日ば過ごしますけんみとっといてください

 石破が財務省に騙されて、「消費税を減税すると財源がなくなる。国債発行だとどの時代に負担してもらうんだ」と発言しました。これが我が国が停滞している最大の原因です。今日からシリーズでの愚かな発言を喝破しましょう。士魂商才第百二十五号で書いたものです。
     私たち企業経営者や家庭に入れば家計のことを気にするのは当然のことです。

 しかしながら、私の世代が若い頃、サラリーマンで1,000万円稼ぐことができたら家族を十分養っていけました。東京は世界一物価が高い街でしたが、それ以上にサラリーをもらっていました。サラリーマンでも十分な生活ができるため中核・革マルなどの変な思想を持つ者以外は、どんどん給料があるのでそんな変な思想に走るぐらいなら働いた方がマシだと言うことが当たり前でした。


 企業は、國内では過当競争状態であるにもかかわらず、國内でも儲けられるのでそのお金を海外に投資しました。海外からオイルショックやプラザ合意などいろいろな経済的な圧力がありましたが、すべて跳ね除けました。若者は日本を誇りに思いました。対外純資産では世界一の國になったので、たくさんの外國が「たかり」にきました。支那共産党とソ連がその筆頭です。


 その後、我國は、バブル経済を迎えました。これは海外が日本の経済をねたんで仕掛けた要素もありましたが、政府・官僚・日銀の対処ミスです。負債の増加ではなく資産の負債に対する相対的な低下現象に、資産対策ではなく負債の処理に走りました。


 それが一段落したらさらなる財務省と日銀の緊縮財政が始まりました。


 30年間以上の國富があがらなくなりました。その中で、中小零細企業は儲ける場を激減させました。そして、ミクロ経済にだけに走る世界ができてしまいました。当然、不満が起きます。政府はその不満を、さらに金を吸い上げることで可能となる補助金・助成金に走りました。


 企業や國民はそれに喜びました。労働者は社会主義のような賃金上昇と働き方改革に喜び、知恵のない愚民化政策の働かない改革に迎合しました。野党(姿はほとんど共産主義左翼リベラル)は賃金上昇や物価高騰等ミクロ経済対策の主張をし、与党はそれに対応しました。メディアもそれに追随しました。私の郷里の博多弁の「やおいかん(どうしようもない)」状態に陥りました。さあ、主権者國民はどうしますか?相変わらず、「この國はどうなるでしょう?と第三者の発言をしますか?」。こんなことで若者が我國を誇りに思うでしょうか?


この専門編ではシリーズでマクロ経済「日本のようになるな」を掲載します。今や、海外の國の合言葉になっています。なのに、ミクロ経済のことばかり國民も気にしています。MMTが共産主義左翼リベラルの隠れ蓑であることもここで述べます。

 我國は 共産主義では ないはずが いつの間にやら 共産主義に

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このページは、宝徳 健が2025年5月12日 01:25に書いたブログ記事です。

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