博多弁じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月十七日 土曜日)

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このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。

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  昨日はくさ、歩きすぎたったい。13,279歩/80分ったい。166歩/分ばい。俺の歩く時のマネジメントミスばい。俺は歩きスマホが嫌いやけん、時々止まって邪魔にならんところでスマホば見るとって。そげんしたらくさ、8,800歩やったとって。1万歩にはあと1,200歩やね〜。げな、思ったったい。あとで考えたらくさ、スマホの表示は、まだ、その時間を反映ばしてなかったとって。30分ぐらい前の数字やったとって。「今日は、えらくきつかばい」と思って帰ったらくさ12,000歩やろうが(13,279歩の差は家で歩いた)。歩きすぎたらいかんったい。後半の歩くスピードが落ちるったい。仕事の時間が減るとって。間抜けやねえ。

    お天道様、今は雨に負けんで良か一日ば過ごしますけんみとっといてください

1.たこ焼き屋での出逢ひ
  昨日のテレビでくさ、カズレーザーが習志野第一空挺団でくさ、訓練ばうけよったろうが。よかね〜。習志野第一空挺団はくさ、陸上自衛隊のエリート中のエリートったい。数々の困難な任務ば果たしとるとって。このことはくさ、また、書くばい。この習志野第一空挺団の優秀な奴がくさ、空挺レンジャーげないうレンジャー部隊になるったい。そげんしてくさ、その空挺レンジャーのくさ、また優秀な奴がくさ、

陸上自衛隊特殊戦闘群

になるとよ! 世界最強の特殊部隊ったい。特殊部隊げないうとはくさ、タスクフォースったい。ある極限のテーマにだけくさ、対応するとって。

 特殊戦闘群の隊員はくさ、自衛隊の中でも「あいつは特殊戦闘群の隊員」げな知らんとよ。いつもは顔を真っ黒にぬっとろうが。そればっかりやなかとって。家族にさえ「俺は特殊戦闘軍の人間ったい」と行ってないと。家族の誰もしらんとって。そげんして国や俺たちば守ってくれとるとに、共産党やら旧民主党の(合わせて立憲共産党)の人間は草、暴力装置げないうとたい。それは、お前らの好きな、支那共産党と北朝鮮とロシアに言えばいいとって! お前らの暴力装置がしょっちゅう領海・領空ば侵犯しとるけん、おうじょうこきよるげな。

 話はここからばい。昨今の材料費の値上がりでくさ、もう閉店ばしよっしゃったばってん、地域の人に知らん人がおらんぐらい大切にしされとった「たこみつ」げなたこ焼き屋さんがあったとって。俺の行きつけやったとって。たこ焼きが行きつけげなよかろうが。

 そこにくさ、地域の中学校ばでてくさ、陸上自衛隊に入った3人のにいちゃんばおったとって。そのにいちゃんたちがくさ、なんと習志野第一空挺団ったい。そのにいちゃんたちはなかなかない休みが取れて帰ってきたらくさ、必ず、たこみつで食べていきよんしゃあとって。その3人のうち、一人にくさ、俺は、たこみつであったたい!すごかろ!!!陣中見舞いば1万円ずつ渡したとって。

 ラインば教えてくれったばってん、忙しいけんつながらんとって。それにくさ、はっきり言わんばってん(言えんとよ)、空挺レンジャーと特殊戦闘群ば目指しとるげな雰囲気やったばい。今は、もうなっとるかもしれんとって。

大切な 人と国とを 守るため 私殺し 任務に励む

 もう逢えんかもしれんばってん、ご活躍ば祈念しとるばい。ありがとう。感謝合掌。
2.流れ星の思ひ出
 木曜日のくさ、「波うららかに 、めおと日和」ばみ観よったらくさ、流れ星ばでてきたとって。なつかしか〜。俺たちのくさ、子供の頃はまだ星空ばいっぱい観えとったとって。天気のいい日のはくさ、ほんなごつ(ほんとうに)星が降るごたああるとよ。

 時々、流れ星も観えるとって。お袋がくさ、流れ星が流れとる間に3つに願い事をしたらくさ、その願いがかなうげなことば言うけん、一生懸命やったばってん、流れ星は速かろうが。でけるわけがなか。

 と、ずっと、思とったとって。そげんしたらくさ、この前の「波うららかに 、めおと日和」の中で、瀧昌さまがくさ、「ふたつ流れ星が流れたということは流星群かもしれないので大丈夫」げなことば言いよったとって。

 しもた〜。六十年間以上、そんしたばい。知らんかったばい。ばってん、余程の山奥に行かんともう今は星空とか見えんもんね〜。今度、観えるところに行ったらくさ流星群が流れますように。えっ? なんばお願いするとやって? 「波うららかに 、めおと日和」風にいうとくさ。軍事機密ったい笑。

情緒深き 幼き頃の 思ひ出は 今も確かに 心に「遺る」

1.魚は頭からくさる(歴史小説)最終回

 昨日はくさ、藤原氏の兄弟のことを書いたところまでやったったい。◯◯は誰かわかるや?種明かしは明日ばい。

「あの悪左府め。あのような驕慢(きょうまん)な男は私はみたことがないぞ」

 上皇から法皇になっていた鳥羽法皇は、つぶやいた。法皇は、関白太政大臣藤原忠実(ただざね)の次男 頼長が大嫌いであった。頼長の宮中での 蔑称が「悪左府(あくさふ)」であった。

 鳥羽法皇は、何かにつけて、温厚篤実な長男忠通(ただみち)に相談していた。後白河天皇の即位に当たっては忠通のみに相談し、忠実・頼長の親子を遠ざけてしまった。

「あのじじいめ。目にものをみせてくれん。老人は早く隠居すればいいのだ」

 頼長はそう思いながら、父の忠実と善後策を練った。

 もうひとりいた・・・・。

「なぜ、わたしの思い通りにことがならないのか。本来ならわが子が帝位に着くはずじゃ。私はこのまま朽ち果てるのか。いいや、そうはさせるものか。法皇を追い落としてみせる」

 ここに不満を抱く者同士の利害が一致した。

 ◯◯上皇と忠実・頼長親子が結びついたのであった。

「法皇、たいへんですぞ。◯◯上皇と忠実・頼長の親子が結びつきましたぞ。武家の力を借りてわれらを追い落とそうとしてごじゃる」

 後白河天皇は鳥羽法皇のところに駆け込んだ。

「わしの方でも、その情報はつかんでおる。心配するな」

 前々からこの状況を予測していた鳥羽法皇は、予め武家に近づいていたのであった。

「わらわの方は、なんといっても、源義朝(みなもとのよしとも)と平清盛じゃ。これでこの争いは決まったようなものじゃわい」

 一方の◯◯上皇、忠実・頼長親子は、源義朝の父 源為義と義朝の弟である源為朝である。それに清盛の叔父 平忠正がついた。

 親族入り乱れての戦いである。貴族政治が終わりを告げ、そして、長い武家政治が始まるプロローグであった。この戦いを「保元の乱」という。

 口を動かすとき、上あごは動かない。上あごが動くと、しゃべることも食べることもできない。家族・組織・国も同じである。いくら下ががんばっても、上あごである上司や経営者がグラグラしていては成り立たないのである。

 そして、歴史上、多くの場合、上が腐る。 そう、魚と同じで、腐るときは頭から腐るのである。元を正せば、この乱は白河上皇の閨房(いわば女性とのセックス関係)の乱れから起こったことである。それが、貴族政治の終焉を告げることになるのだった。

 敗れた◯◯上皇は、讃岐に流された。

 嘆き悲しんで、言った。

「われ日本国の大魔縁(だいまえん)となり、皇を取って民とし、民を皇となさん」

 皇室を潰してやるということである。

 西行法師は讃岐に行って霊を慰めた。そして詠んだ。
 
 よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん

「お上よ、もうよいではないか。成仏なされい。でも、まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」

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このページは、宝徳 健が2025年5月17日 03:37に書いたブログ記事です。

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