崇徳上皇(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月十九日 月曜日)4

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 五月十七日までの「博多弁じじいのつれづれなるままに」で、歴史小説「魚は頭から腐る」を書いてきました。この頃に国民投票がもしあったら、皇室は亡失くなっていたでしょう。すべてはたった一人「白河上皇」というただ一人の我儘からです。後の藤原道長もそうですが、彼は、「うしはく(全てを自分のものにる)」政治をやってしまいました。そして、1156年に保元の乱となり皇室がせっかく「すべての権力」捨て去ったことに泥を塗りました。 これは「しらす(為政者自分のことを律しが国民のことをとことん知る。そして許す)」という人間社会の奇跡の統治方法と「うしはく」との戦いをやってきた皇室にとって由々しきことなのです。皇室の恥部です。

 皇室でさえも「うしはく」をしてしまうと、崩壊するのです。だから永い永い間にそれがわかっている皇室は「うしはく」と戦ってきました。敵はどこにいたか。皇室内のそれも「白河上皇」が敵だったのです。

  今でも皇室は、この「魚は頭から腐る」を肝に銘じていらっしゃいます。なのであのように尋常の人間ではありえない生活習慣を守り続けていらっしゃいます。「また自分の代まで続けることができた」と安堵なさっているのです。それがとってもたいせつな「節」です。だから天皇誕生日を祝うのではなく「(たとえば)令和節」を祝うのです。メディアよ、わかったか。

 みなさん、〇〇の答えは、崇徳です。崇徳上皇です。


 京都に六波羅寺というところがあります今でも、このことを肝に命じるために皇室は、100年ごとに崇徳上皇の霊をなぐさめるお祓いをやっていまする。 メディアはすぐに開かれた皇室と言いますが、あんたたちのように間違えた表現の自由や知らさない権利を振りかざす「うしはく」とは違うんだよ。他国の「うしはく」為政者のような女性問題は起きないんだよ。

 白河上皇が、自分の女御(にょうご)、璋子(たまこ)をなんと、孫の鳥羽天皇の中宮(皇后)にしてしまいました。その後も上皇と璋子の関係が続き、またまたなんと、子供まで作ってしまいました。たったひとつのこの欲望が皇室を破滅寸前までに追い込みました。他国では当たり前のことですが、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本では決して許されることではありません。をはり

しらすといふ はてなき理想 との戦いが 天子の理想 日本の国体

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このページは、宝徳 健が2025年5月19日 03:54に書いたブログ記事です。

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