蚕起食桑(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月二十一日 水曜日)

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 今日から二十四節気は小満です。しょうまん と読みます。二十四節気とは太陽の日長変化です。地球に届く太陽の光の良に関わる暦です。春夏秋冬を6つに分けることで、一年を二十四当分にします。そして、季節にふさわしい名前が付けられています。農耕作業をするために欠かすことができない暦です。我が日本は農業国です。小満は、気温や湿度が高まり草木が茂ってきます。

 そして、七十二候は、小満 初候 蚕起食桑です。かいこおきてくわをはむ と読みます。卵から孵化した蚕が盛んい桑の葉を食べ始める頃です。

 私たちが小学生の時は、今の日教組のように不埒ではなく、まだ、先生たちがしっかりしていて、白地図で地域のことを教えたり、桑の葉で蚕をそれぞれの家で買わせて、蚕が繭を作るところを生徒たちに経験させていました。絹ができるまでの貴重な体験です。

 それともうひとつ別の意味で楽しみが。桑を取りに行く時に桑の実が食べられるんです。「お腹を壊すからあまりたくさん食べてはダメよ」と母に言われました。家に帰ると「どれだけ桑の実を食べたの?」「全然食べてないよ」と言ってもすぐにバレます。桑の実の紫の汁が口の周りべったり。おいしいんですが食べ過ぎるのは良くないみたいです。

 田んぼの畦道葉もっと賑やかでした。桑の木や枝豆やらがたくさんなっていました。まだ、水車小屋があって、米を脱穀していました。秋になると頭(こうべ)を垂れた稲穂が狩られ茎のところが、三角に積まれます。切り株から「ひこばえ(二番穂)」と呼ばれる稲が生えてくることがあります。それとか、稲わらを、堆肥化したり乾燥させて保管したりします。あとは、子供たちの遊び場所。でも、ここで遊ぶと稲穂の藁が服について、お母さん方は大変笑。まだ洗濯機がない頃なのでなんとかタライで洗って落としていたのでしょうが、今は、洗濯機だから洗ったら他の洗濯物は稲わらだらけでしょうね(爆笑)。なんかの宣伝でありましたよね「わんぱくでもいい、逞しくそだってほしい」って。

 今なら。「おとなしくていい、喧嘩をしなければ」でしょうか(爆笑)。

 さあ、世界で唯一連続した人間社会の奇跡の国 我が国日本が息吹を吹き返すころです。田に水が張られ、そして、田植え。なんとも言えない風景が出来上がります。何万年の歴史を経て。

 天照大神が天孫 瓊瓊杵尊に授けた、三大神勅のひとつ

斎庭の稲穂の神勅(ゆにはのいなほのしんちょく)

の季節です。
皇弥栄(すめらぎいやさか)

 さて、小満の頃の和菓子は。
 享和(きょうわ)三年(1806年)創業の京都の和菓子屋さん、亀屋良長さんの亀屋女子和菓子部が開発された和菓子を今回も拝見しましょう。

 ちなみに享和は寛政のあと、文化の前です。寛政はあの極悪松平定信が主導した緊縮財政改悪です。これによって、すぐれ田沼意次が失脚しました。返す返すも惜しまれます。松平定信は我國を良くしたいと思ったのではなく、岸田や石破みたいに権力の頂点に立ちたかっただけです。

  文化は、文化・文政で習いましたよね。江戸の文化が華開いたときです。

 さてと、どんなお菓子かな。今回も著作権違反とわかっていて写真を使わせてもらいました。亀屋良長さん、すみません。だめだったらすぐに言ってね。すぐ写真だけ削除するから。


 この和菓子は新入部員の元パティシエさんが考案したそうです。そら豆を使った羊羹を浮島という蒸したカステラのようなものではさみ、練り切り製の季節のあやめを添えているとか。

 ああ、亀屋良長さん、西宮にも支店出して〜〜〜〜〜〜。たまりませんね。お茶に合いそう。食べたいなあ。でも、素晴らしい老舗ですね。社員の皆さんがイキイキ働いていらっしゃる光景が目に浮かびます。

まかされて 考え抜いて 創造する 生まれてくるのは あらたな文明

亀屋良長さんこのへたくそな和歌で許して😭。

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このページは、宝徳 健が2025年5月21日 00:23に書いたブログ記事です。

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