自分の小ささを知る(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)五月二十五日 日曜日)

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在100103通目です(後で数えなくていいように)
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  昨日のブログで約束しました「自分の小ささを知る」の記事を書きます。自分の恥になりますが、この経験だけは忘れてはいけないので書きます。

  年ははっきり覚えていないのですが、三十歳前後のことです。詳しくは言えませんが、私はとんでもない事件に巻き込まれました。

 どうしても自分を変えなければならなくなりました。変えるのに3年ぐらいかかりました。苦しくて苦しくて、それでもそれを出さないように仕事をして。無理に笑って過ごしました。家族にもその時は言えませんでした。
  いろいろな本を貪るように読み、良い講演があると聞けば行き、素晴らしい方がいると聞けば会いに行ました。
 
 ある時座禅を組みに行った時のことです。座禅が終わって説法がありました。これまでイケイケドンドンできて、まだ、何も自分のことがわかっていない私は、和尚さんの説法が終わった時に、

「和尚さん、みんなに素敵なお話をくれましたが、和尚さんはそれができていらっしゃるのですか?」と、聞きました。

 そうしたら最高の笑顔で「いいえ」と言います。

寳「では、自分が出来ていらっしゃらないのになぜ私たちにそんな話をしたのですか?」

和「(さっきより素敵な笑顔で)自分の小ささを知るためなんです

とおっしゃいました。

 その言葉を聞いた瞬間、私の目から、何万枚も鱗が落ちました。しばらくその場を動けませんでした。言葉が出ませんでした。結局全てのことは自分が原因で起きているのかと。

  これまでは自分を大きく見せよう、強く見せようとしていました。それって・・・。

  そんなことを知ってからも度々そうなる自分がいます。でも、なった時に以前は気づかなかったのですが、気づくようにはなりました。

 家のある法事の時、こういう和歌に出逢いました。そこの住職さんの和歌です。

はけば散り はかねばまたも 散りつもる 庭の落ち葉も 己(おの)が心も

 それを拝見した時、私の心の中で出てきた自分の声は「っく」のただひとつです。今だに、いろいろな生きるミスを犯します。

 私は、このことをきちんとできるようにならないと天は命を閉じてくれないでしょう。ダメでね。まだまだ。

人として 何度も犯す 同じ罪 それを仕舞へて 命を閉じる

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このページは、宝徳 健が2025年5月25日 00:20に書いたブログ記事です。

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