平重盛と岡太神社(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月二十四日 火曜日)3

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,124通目です(後で数えなくていいように:すみません。数え間違えていました。これが正確です。)。

このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

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   私の家から2kmぐらいでしょうか? 西宮市武庫川町に「岡太神社」がひっそりあります。この神社がすごいいわれなんです。

  岡太神社は鳴尾地域で最も古い神社の一つと言われ、創建は宇多天皇の寛平五年(893年)とされています。御祭神は天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)です。古事記の最初に出てくる神様です。天地開闢の神: 『古事記』では、天地が初めて現れた時、高天原(たかまがはら)に最初に成り出でた神とされています。まだ何も定まっていない混沌とした世界の中で、最初にその存在を現した「始源の神」であり、万物の根源を象徴する神とされています。


  • 造化三神の一柱: 天御中主大神は、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)と共に「造化三神(ぞうかさんしん)」と総称されます。これらの三柱の神は、宇宙の生成、万物の創造に関わる最も根源的な神々とされています。
  • 「独神(ひとりがみ)」として身を隠す: 『古事記』では、天御中主大神は独神として現れ、すぐにその身を隠したと記されています。これは、直接的に具体的な出来事に関わるのではなく、世界の基盤を形作った後は、その存在を奥深くに秘めるという性格を示していると考えられています。
  • 『日本書紀』での扱い: 『日本書紀』の正伝には記述がありませんが、異伝(第一段の第四の一書)には「天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)」として登場します。この違いも、両記の性格の違いを示すものとして興味深い点です。
  • 神格: 天の中心にあって天空を主宰する神、創造神、宇宙の根源を司る最高神と位置づけられています。特に復古神道などでは、最高位の神として信仰されています。
  • 北極星との関連: 中世以降、天御中主大神は北極星の神格化である妙見菩薩と習合し、妙見信仰と結びつきました。そのため、妙見信仰の神社(妙見神社など)で祀られていることが多いです。また、水天宮でも主祭神として祀られることがあります。

『古事記』における位置づけ

『古事記』の冒頭で、天地が初めて現れた際に最初に生まれたのが天之御中主神であり、その後に高御産巣日神、神産巣日神が続き、これらの三神が「造化の首」として世界を形作る根源的な役割を担ったとされています。このように、天御中主大神は、日本神話の壮大な物語の幕開けを飾る、非常に尊く、深遠な存在として描かれています。


 一方、平重盛は。

  清盛の長男です。清盛が最も頼りにしてい武将です。早逝してしまいました。重盛が亡くなったと、清盛はとても落胆したそうです。

 もし、重盛が存命なら平家の世はまだつづいたとさえ言われています。

  重盛は「小松内府」と呼ばれました。これは、京の小松谷に邸宅があったことに由来しますが、現在の西宮市にはかつて小松庄(こまつのしょう)という平氏の所領があり、武庫川の河口付近に位置していました。この小松庄が、平重盛の居館の伝承地とされています。

岡太神社と重盛ゆかりの史跡

岡太神社の境内には、平重盛にゆかりの深い以下の史跡が移築・保存されています。

  • 「伝小松内府 平重盛卿 供養塔」: この供養塔には、承安年間(1171年~1175年)に平重盛のために建てられた、あるいは社地の近傍から発掘され移転されたという言い伝えがあります。
  • 「平重盛之城趾」碑(小松城址の石碑): この石碑は、かつて岡太神社の西南にあった「伏松」という小高い丘が重盛の居館の伝承地とされたことを示す顕彰碑です。昭和3年(1928年)に地元青年団によって建てられ、その後現在の岡太神社境内に移築されました。

これらの史跡は、西宮市武庫川町一帯が平重盛ゆかりの地であり、岡太神社がその歴史を今に伝える重要な場所であることを示しています。



  狛犬ももちろんいますが、猪の狛犬もあるんです。今度何故か調べておきます、

  とっても素敵な神社です。私は、晴れているとここまで歩きます。

  岡太神社は今はモダンな作りになっていますが、かつては古社そのものでした。阪神淡路大震災で後悔したみたいです。

残るでなく 遺ると言ふ字を 使ふ我國 歴史の跡の 息吹がいまも

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このページは、宝徳 健が2025年6月24日 05:29に書いたブログ記事です。

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