戦国策1(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)六月朔日 月曜日)5

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,231通目です(後で数えなくていいように)。平成十七年からでした。間違えていました。もーーーー!
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

              https://batonz.jp/partner_adviser/keieisen

 かつてこのブログに書いていた記事ですが。あれから十六年私の支那の古典に対する知識や真実が増えています。支那の古典というか「古書」に「戦国策」というものがあります。人間の生きる知恵というか死なないで済む知恵が満載です。またこ戦国策の時代は今の支那より何百倍も素晴らしいのですが、とにかく「モノを汚すこと」「人を殺すこと」を生きる目的にしています。時々とても立派な人が出てくるのですが、立派な人が正しいことを言うと殺されるんです。皇帝になる人をある人が助けて皇帝が天下を統一するとその助けた人は殺されるんです。なのであの大陸で活くる人たちはとにかく「殺されないで済む知恵が何より大切なんです。

 それと支那の古典は四書五経とよく言われますが、四書(ほぼ孔子の時代以降)は、五教の焼き直しでしかありません。五教は四書の何千年も前に描かれました。戦国策はその中間あたりでしょうか。

 支那大陸は全土を統一するのは真の始皇帝が初と思って間違いありません。殷-周-秦-漢と続きますが、周までは黄河流域だけの話だと思ってください。

 今の日本人は「喧嘩をしてはいけません」と教えるので驚くほど世界で一番喧嘩が下手な国になってしまいました。世の中の多くの母親の責任です。だったら「喧嘩をしても死んではいけません」と教えた方がいいかも笑。20090523
  今日から数日間のタイトルは「貧窮すれば、父母も子とせず」です。

   蘇秦(そしん)という人がいました、蘇秦は、秦の恵王に政策を十回も上申しましたが、認めてもらえませんでした。着ていた黒豹(こくちょう)の皮衣 は破れ、黄金百金を使い果たして、小遣い銭にも事欠きました。蘇秦はやむなく秦を去りました。

 本をからげてひっかつぎ、ずだ袋をさげて、トボトボと足を引きずって歩いています。体はやせ衰え、顔色は黒ずみ、いかにも無念そうです。

 家に着きました。妻は機織の手を休めない。兄嫁は飯のしたくもしてくれない。父母は口をきこうともしません。蘇秦は、ため息をつきました。

 「妻は夫とも思わず、兄嫁は弟とも思わない。父母もまたそしらぬ顔。それもこれも、みんな秦のせいだ」


  妻にも、兄嫁にも、父母にもうとんじられた蘇秦は、それからというもの、夜は数十巻の書物を読み上げて読書にいそしみました。ことに太公望(周の文王・武王の参謀)の兵法を知ってからは、わき目もふらずにそらんじ、それを要約して、繰り返し遊説術を研究しました。読書して眠くなれば、錐を股に刺し、 流れる血をふきもしない。

「今度こそ王を説き伏せてやる。金銀綾錦を頂戴し、大臣にならずにいるものか」

 こうして一年、ついに研究は成り、「揣摩(しま)の術」を会得しました。

「これなら、現代の王にぴったりだ」

 さて、蘇秦は、説客となって、諸国をめぐります20090524

  蘇秦という人は、戦国策というより戦国時代でとても重要な役割 を果たします。


 戦国時代は、小国が大国に吸収されながら、最後は、韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦の七国にまとまっていきます。この中で最大強国が秦です。他の六国は、秦 に滅ぼされないかといつもびくびくします。その中で、この他の六国をまとめあげて、秦に対抗した立役者が「蘇秦」なのです。これを、合従(がっしょう)連合といいます。

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このページは、宝徳 健が2025年6月30日 08:32に書いたブログ記事です。

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