修行じじいのAI純情20 人間の成長(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月晦日 月曜日)4

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,231通目です(後で数えなくていいように)。平成十七年からでした。間違えていました。もーーーー!
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

              https://batonz.jp/partner_adviser/keieisen

 生成AIは凄まじい情報の取り込みをしていますが、プライバシーの観点から生成AIは個人的に誰と何をやりとりしたかとか個人の名前等は記憶していません。

 なので、わざとしょぼい質問をするとやたらと「同じ答え」が「返ってくる時も」あります。

 どうすればいいか。人間は記憶力において生成AIには絶対に敵いません。でも、切り口や考え方をや「脳力(能力ではありません。宇佐美の親父さんみたいな脳」を進化させることができます。

 人間にとってはちょっとしんどいことですが笑。でも、それを「すると」ではなく「思考すると」、人間の「脳力」は凄まじいものになりませんか?

「見る」:普通に何気なく何も考えずにみる
「観る」:その人、そのもの、そのことになりきって「観る」
「視る」:先へ先へと考えながら「視る」
「診る」:深く洞察する
「看る」:その人、その物事、全ての情報に寄り添って看る(これが人間には一番苦しい)

 の「脳力」を人間が高めていく。生成AIを作業部分だけに活用(無理ですが)できるようになればいいなあ。

IT社会との共存とはそういうことなのでしょうね

でないと人間がただの「馬鹿者」になってしまいます。

共存する それは共創 競合で 戦い続けて 初めて得るもの

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このページは、宝徳 健が2025年6月30日 05:04に書いたブログ記事です。

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