博多弁じじいのつれづれなるままに:HES(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月三日 火曜日)2

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  昨日はくさ15,251歩ったい。朝、8,000歩あるいて、昼から外出の用事があったけん、残りを歩いたったい。この方法やとあんまり苦にならんと。ばってん、仕事があるときはよかけどくさ、ない時にこれをやると仕事の時間が1時間減るけんやらんばい。

お天道様、今日も良か日にしますけん、観とってください

 1.安藤の六連投(慶早優勝決定六連戦の伝説)
  私としては悔しくて仕方がなかとばってん、先日の東京六大学 慶-早戦でくさ、粘る義塾を振り切って早稲田が勝ち点を上げたったい。これで勝率が並んだ明治と早稲田の優勝決定戦が行われるとって。
 優勝決定戦はくさ、基本的に1試合で決まるったい。延長線があったときにはくさ、回数無制限げな男らしかやり方ったい。引き分けはないけんどっちかが勝つまでずっと続くったい。日没や雨天でコールドゲームにならん限り。このたったい一回しなか慶早戦をくさ六連戦戦った伝説があるとって。ようと聞いときやい。
  昭和三十五年(1960年)秋季大会のことやけん、俺はまだ二歳ったい。偉そうな言葉いっとっても俺も覚えとらんばい。実家の近くのテニスクラブで知り合ったTさんという人とKさんという人とくさ、よお(よ)飲みに行っとったとって。それぞれ十歳ぐらい差があるけん、Tさんはもう八十半ばばい。この人が早稲田の出身ったい。スキーの名手ばい。Kさんは立教の出身。それは義塾ったい。

 ある時、Tさんの家で三人で飲みよったとって。その時にくさTさんが話してくれたとが、慶早優勝決定六連戦ったい。まさに死闘ばい。慶早戦げな言うとは、一種独特の雰囲気があろうが。今は、禁止されっ取るばってん、かつては前の日に、神宮球場の周りにみんな集まってくさ、一晩中、宴会ばしよったとって。下級生なんかくさ、無理やり飲まされて急性アルコール中毒になって、よお(よう)救急車で運ばれとった。俺? 今では酒は弱くなったばってん、その頃はザルったい。どげん飲んでも酔わんかった。恐らく二升ぐらいは飲んどったろうや。

 大学一年のある慶早戦の時ったい。親友のTJとあとTJの友達の東大のやつ二人でくさ、神宮球場の泊まり込みの早稲田の縄張りに冷やかしに行ったと。そげんしたらくさ、「おうこの慶應の軟弱もん」げな声ば掛けてきた早稲田のやつがおったったい。「軟弱かどうか試してみるや」となったと。「隣の公園こいや」げなどっちが言ったかいな。覚えとらんばってん、隣の公園に行ったと。その公園で1対1二組の殴り合いったい。俺たちは昭和の男やけん、今の令和の男みたいに武器ばつかうとか大勢で人を殴るとかは絶対に先やった。ステゴロのタイマン(素手で1対1の喧嘩)ったい。喧嘩は大切な物ば守るためったい。暴力は令和のやり方ったい。「何を守った?」義塾の誇りったい。それにこっちから売っとらん。俺は売られた喧嘩は必ず買ってきたばってん、俺から売ったことはないけんね。Tも俺も二人とも完勝ったい。Tの相手は血だらけになってくさ、Tは返り血を浴びとった。俺の相手は俺にボコボコにされて戦意を失しなっとった。東大生は喧嘩の時は木陰に隠れとったばってん、俺たちふたちが買った途端出てきて早稲田の奴らにいばりよった笑。おっと、こげな武勇伝はどうでんよか。安藤の六連投ったい。

 生成AIのGeminiに調べてもらったばい。助かる〜。これを俺が調べとったら他の仕事にならんばい。Ceminiやったら1分ばい。Geminiやけん標準語ばい。



早慶六連戦の背景

  • 1960年秋季リーグ戦:慶應義塾大学が8勝2敗、勝ち点4で優勝に王手をかけていました。一方、早稲田大学は7勝3敗、勝ち点3と慶應を追う展開でした。
  • 優勝条件
    • 慶應:早慶戦で勝ち点を取れば優勝。
    • 早稲田:連勝すれば優勝。2勝1敗だと慶應と同率になり、優勝決定戦にもつれ込む。
  • 戦力分析:慶應は清沢忠彦、角谷隆ら複数の好投手を擁し、打線も強力で、戦力的には慶應優位と見られていました。早稲田は安藤元博と金沢宏の両アンダースロー投手が軸でしたが、金沢が故障で登板不安を抱えており、安藤への負担が大きい状況でした。

安藤投手の六連投(実際は5試合5完投)

「六連投」という言葉で語り継がれていますが、実際には6試合中5試合で先発完投という驚異的な投球を見せました。

  1. 早慶戦(1回戦):慶應が勝利し、優勝に王手。
  2. 早慶戦(2回戦):早稲田が勝利。
  3. 早慶戦(3回戦):早稲田が勝利し、2勝1敗で勝ち点を挙げ、慶應と同率首位に持ち込み、優勝決定戦へ。
  4. 優勝決定戦(第1戦):安藤元博と慶應の角谷隆が投げ合い、1-1で延長11回日没引き分け。
  5. 優勝決定戦(再試合):再び安藤が先発し、早稲田が勝利し、見事優勝を飾りました。

安藤投手は、この5試合で564球を投げ抜いたとされています。特に、優勝決定戦の再試合では、慶應の強力打線を相手に粘り強く投げ抜き、早稲田の優勝に大きく貢献しました。

伝説としての意味合い

安藤元博投手のこの活躍は、東京六大学野球、特に早慶戦の歴史において、伝説的な出来事として語り継がれています。彼の超人的な粘り強さとエースとしての責任感が、早稲田大学を優勝に導いたと高く評価されています。

この六連戦での安藤投手の活躍もあり、早稲田大学野球部ではエースは背番号11を着けるのが伝統となっています。安藤元博投手は、この後プロ野球に進みましたが、この早慶六連戦での活躍は今なお多くの野球ファンに語り継がれています。

(以上、Gemini)

 Tさんの家で飲んどった時に、これを、Tさんが興奮しながら話すとって。慶早戦は興奮するったい。あの應援ば経験したやつにしかわからんばい。それがこげなすごかことやっとったらもう興奮せずにはおられんめいが。今やったら、選手の健康げなくだらんことば言い出す大人が出てくるったい。

 俺はたかだかインターハイばってん、それでも、インターハイが決まる試合ではくさ、「もしインターハイ日出場できんかったらどうしよう」と思っとったとって。出場でけん(できん)なんて頭の片隅にもなかったばい。部長(はいたけど出てこない)も監督もコーチもおらんやった俺たちはくさ、いっつも「練習できつい思いばすることぐらい試合で負ける苦しさに比べたらどんだけましか」という思いぐらいしかなかったとって。試合で死んでもよかげな思ってやっとったばい。

 俺たちでそうなんやけん、慶早戦(特に当時の)げななったらくさ、選手も應援も学生もそらあすごかことになっとる。女の子が女の子で男の子が男の子の時代やったばい。今は、女が男に女を求める時代ばい。世の中狂っとる。男女差別はダメばい。ばってん男女は区別されな天が男と女ば作った意味がなか。

 あったそうや、早慶六連戦の二年前に早慶りんご事件(ここでは早慶というばい。早稲田が悪いっちゃけん)もあったとって。また紹介するけん。

 お互いが すべてをかけて 磨きあふ 男が男で あった生き方

2.博多仁和加
「慶早戦はなしてあげん盛り上がるとや」
「そらあそうくさ。ライバルやけん。ばっててんなんでも許されるとよ。「そーけー(そうかい)」やけん」
おそまつ様。博多のやつに怒らるるばい。

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このページは、宝徳 健が2025年6月 3日 01:42に書いたブログ記事です。

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