「年金制度改革法案修正」本位制の愚:最終回(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月十一日 水曜日)

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  長い間ご覧いただいて感謝申し上げます。昨日の歩数は0です。とても出かけられるような雨の状態ではありませんでした。また、今日は出かける予定でしたが、ちょっとした家庭の事情でそれがかなわなくなりました。残念です。ですからお天堂様にはここで挨拶します。

お天堂様、今日も何があっても良か日にするけん観とってください

  要は、財務省と政府首脳は、もう少子化社会では、経済成長はできないと思い込んでいます。なので、今回のい年金制度改革法案を出しています。

 ここに思い違い(思い込み)があります。プライマリーバランス本位制という緊縮財政をとったから少子化になったんです。そして「結果」として経済状況が悪いからといって、サラリーマンの厚生年金の積立を国民年金に回そうとしたり(国民年金の回収遅れ対策を講じずに)、専業主婦の第3号被保険者の地位を剥奪しようとしたりして。また、財務省は自分たちに都合悪いどこの国でもやっている歳入庁の創設には一才触れずに。なおかつ今のアホ政権に財務省は減税ではなく、一人数万円の給付金でお茶を濁そうとしています。絶対にロードマップが描けない金融緩和もしないで名目GDP1,000兆円という空想の目標を選挙のために掲げさせたり。もう、アホらしくて見ていられません。
  
  まるでピーターパン症候群(精神的に子供のままでいたいという願望があるため大人になることを拒否している人)


  パーソナリティ障害(政権期から成人早期に発症する精神疾患。思考、感情、行動、対人関係のパターンが正常な範囲から大きく外れており本人や周囲に苦痛をもたらす人)

です。

 さあ、最終回は本位制が歴史上成功ていない事実を説明します。また、田沼意次が日教組によって教科書に書かれような人間ではなくいかに素晴らしい政治家であったことも。
 江戸時代には、俗に三代改革というものがあります。中学時代に習いましたよね。

享保の改革(徳川吉宗)
寛政の改革(松平定信)
天保の改革(水野忠邦)

 です。徳川吉宗と松平定信の間に素晴らしい政治をしたのが田沼意次です(吉宗だけは晩年に大岡越前の意見を聞き少しデフレを脱却した)。田沼意次は荻原重秀とともに金融緩和でデフレを脱した人です。教科書でこの二人は全く評価されていません。荻原秀重は、元禄八年(1695年)、慶長小判を改鋳し貨幣流通量を増加させ、デフレより脱し元禄文化の繁栄をもたらしました。それを、「悪貨が良貨を駆逐する」と日教組教科書は言います。

  三代改革は、どれも緊縮財政なのです。財政の立て直しなどできません。なぜか。江戸時代は米本位制だったからです。江戸幕府になった時は幕府の米は全国全ての経済力をはるかに上回っていました。でも、平和な江戸時代は、どんどん民間消費経済が発展します。新田開発を奨励しましたが、それだけでは民間消費経済に発展に追いつきません。全国の経済を一手に支えていた徳川の米本位制ではデフレになってしまったのです(コメを持ってきたらお金に変えなければならないのを米本位制と言います。ドルを持ってきたら金に変えなければならないのを金本位制といいます)。

  経済成長をすると、本位制で交換しなければならないので例えば米が、例えば金が極端に不足してくるのです。なので、ニクソン大統領は金本位制を停止しました。織田信長は民間消費経済が発展するのに気づいて楽市楽座にしました。

 江戸時代には全国の石高は3,100万石でした。徳川幕府の石高は「直轄地400万石、旗本300万石の計700万石)でした。これは江戸時代の末期の話であり、初期はこの三割減だと思ってください。その3,100万石の経済を一手に幕府が賄っていたのです(金融政策を)。

 時代劇を見ると、旗本が傘張りのバイトをしたり奥方が針ものの仕立てをしたりしています。あれは幕府が苦しいだけではないのです。だって、旗本の石高は決まっているので、ちゃんと米の支給はされます。完全に米本位制の失敗(金融政策の失敗)なのです。

 せっかく田沼意次が活性化した民間消費経済を松平定信はただ田沼憎しで崩壊させました。

 似ていませんか? 今のどこかの国と。ダメなんですプライマリーバランス本位制では。では、どうすればいいか金融政策によって緩やかなインフレーション(リフレ)にして名目GDPをあげるんです。昨日、石破がTVで行ったような目標の名目GDP1,000億円なんていうのは、今のような実質デフレで金融政策も取らないプライマリーバランス本位制の元では絶対にロードマップが描けないのです。一時「幸せな国にする」といって今はその言葉を一言も聞かないような目標になってしまうのは火を見るより明らかです。

 リーマンショックの時に欧米各国はお金を刷りまくり貨幣供給を大幅に増加させました。リーマンショックにうよる資産価値の低下を防ぐためです。

 日本は、バブル崩壊の時に緊縮財政に入り、なおかつ、負債対策に入りました。民間消費経済はプライマリーバランス本位制で動きようがなくなりました。

 バブル崩壊とは負債の増加ではなく、「資産の相対的低下」だったのです。本来なら資産価値の低下を防がないれればならないのを福井・白川などの日銀総裁が金融引き締めをし
ました。結果はどうなったかは皆さんが一番知っています。

 金本位制は戦後の各国が絶賛しました。だって経済発展の支援をアメリカにさせ、価値の上がった自国通貨をアメリカに持っていたたら、儲かるんですもの(当時は金本位)。日本は池田勇人元総理大臣が300円/💲で決まりそうな為替レートを360円/💲にしました。日本で作ったものを300円のものをアメリカにもって行ったら360円もらえるんですよ! 実質的な貨幣供給です。日銀が利上げしそうになったのを池田さんが阻止しています。

 IMFはどこなの国が破綻すると引き締め政策を極端に押し付けます。IMFの幹部は財務省が主流です。IMFな財務省利権です。なので、IMFに自分たちの利権を守るためにIMFに都合の良いコメントをださせます。

これで私たちの世代は若者たちに楽市楽座を遺せますか?
日本国憲法「典」お得意の「自分だけよかったらそれでいい」の考えに従いますか?
  
  大好きで 愛してやまない 我が国が 愚か者にて 共産主義へと

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このページは、宝徳 健が2025年6月11日 00:43に書いたブログ記事です。

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