よみほっと(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)六月二十三日月曜日)2

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,199通目です(後で数えなくていいように:すみません。数え間違えていました。これが正確です。)。

このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

              https://batonz.jp/partner_adviser/keieisen

  この土日の私の生活はかなり乱れました。猛省です。ルーティンがうまくできないと取り戻すのに何倍もの労力がかかります。

お天道様、今日はなんとか取り戻して良か日にしますけん観とってください
  
  私は、讀賣新聞日曜版「よみほっと」が大好きです。どの新聞でもそうですが、日曜日の文化欄はいいですね〜。日経新聞なんてもう文化欄しか読むところがないぐらいです。

  そして、そして、昨日は、私の大好きな、正岡子規でした。若い頃、子規の闘病生活を綴った「病牀六尺」「墨汁一滴」は貪るようによみました。明治の男たちは、なんて強いんでしょう。あの病状を楽しむ力があります。

  昨日のよみほっとは埼玉県さいたま市大宮でした。東京帝国大学の学生だった正岡子規は、明治二十四年(1891年)、この辺りにあった旅館「万松楼」に試験勉強のために10日ほど滞在したそうです。その後、江戸から近いこの自然あふれるところは文豪たちの集いの場所になりました。田山花袋などは色恋沙汰も起こしています。

 慶應義塾の応援歌のひとつに「われぞ覇者」という歌があります。「♫雲を破りて世を照らさんと見よや見よ自由の先駆あれ。独立友呼べば自尊と我応え♫」という歌詞です。まさに今の世の中で男たちに必要な言葉ではないでしょうか?

 私の父は昭和二年生まれです。いつも私に「健なあ、おれは明治六十年生まれだ」と言っていました。誇らしげに。「雲を破りて世を照らさんと」「自由の先駆あれ」「独立自尊」。今で言うリベラルの自由ではなく、独立自尊のために必要な自由です。

 そして私たちの日本の誇りを守るために命をかけてくれました。

なにもなき 明治の時代に 国創り 国を護った 明治の男

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年6月23日 02:43に書いたブログ記事です。

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