未来日本昔話:再掲35(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月二十五日 金曜日)3

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,297通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

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お天道様、今日も良か日にしますけん観とってください


  平成二十二年(2010年)二月五日に書いた記事です。修正を加えず当時の記事を修正せずにそのままを書きます。(が、日本は第一次大戦で地中海にも派兵しています:お詫びの上訂正です)

  さて、昨日のおばあちゃんとまさる君(10歳)会話は日米関係でした。今日もそその続きです
「おばあちゃん、昨日の続きを話して」
「はいはい。日露戦争の際に仲がよくロシアをけん制していた日英米関係が何で変化したかを話そうね。1902年に締結された日英同盟は、1905年に英国側からのはたらきかけで第二次同盟ができたの。三次同盟は1911年に両国間で合意するんだけど、その時に英国の外相から「米国の一私人から日本を同盟の対象から外すように要請があった」との情報が得られたの」

「よほど米国は日本が嫌いだったんだね」
「アジアにおける日本との利権争いをはじめたからね。その後日英同盟は、第一次大戦中に日本が欧州に参戦しなかったという理由で1921年~1922年に開かれたワシントン軍縮会議で破棄されたの」

「日本は派兵しなかったの?」
「シベリアには行ったけどね。欧州参戦はアメリカが警戒して出来なかったのと、日本は侵略戦争はしないという意志があったからね」

「で、どうなったの?」
日本、英国、米国、フランスの四カ国同盟に切り替えられたの。まさる、多国間同盟というものはすごく弱いものなの。民主党が日米中の三角関係を作ろうとして、日本がつぶれたのをみるとわかるだろう?」
「うん」

「日英同盟さえ維持できていたら、世界大恐慌の後のブロック経済にも巻き込まれなくてすんだんだけどね。それにね、米国は1915年に日本が中国に要求した二十一か条要求に感情的なほど反発したの。中国は世界の世論を自国に有利に運ぼうと故意に日本が不利になるニュースを流したの」

「外交って情報戦略なんだね」
「そうだよ。ありもしない、南京大虐殺をさもあったかのようにしていた中国をみてわかるだろう。以後、日米関係は悪化の一途を辿り、日米開戦になったのさ」
「そうなんだ・・・」

「まあ、この辺のいきさつは、いずれもっと深く話してあげよう。長くなるからね。でも、民主党政権が米国と離れ、米中が接近する中でそんなことをしてしまった愚はわかるだろう?日本は大東亜戦争のときと同じ過ちを犯したのさ」

「なるほどね。日本はつぶれたわけだ」
「今日は、このくらいにしておこう。さてと・・・」
「うん!今日のおやつは?」
「まあ、この子ったら。今日はね、福岡県の筑紫餅だよ。福岡も今は中国領だけど、こっそり手に入れたからね」
「うん。もぐもぐ。おいしい。これも素朴な味だ~」
「たんとお食べ」

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このページは、宝徳 健が2025年7月25日 04:37に書いたブログ記事です。

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