堀河屋野村(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月十九日 土曜日)4

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,283通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

 ブログを書くのは良いストレス解消になります。二〜三時間ぐらい詰めて仕事をして、頭がぼーっとなったときにブログを書いて脳の活性化をします。一日にたくさん書いていたら読めないと読者の方に言われることもありますが、どうぞお好きな記事だけお読みください。そのために、同じことを記事を変えたりして繰り返し書いています。

  閑話休題、以前、我が国の国体「しらす」と天皇家のルーツである日高見国の話をこのブログで書きました。おそらくここが高天原(たかまがはら)です。令和六年(2024年)九月十日のブログ記事「日高見國」をご覧いただければ詳しく書いています。

  北海道にもありますね。日高町が。山も川も海もぜーんぶあるとっても美しい街です。ここも日高見国から人が移住したところです。「ひだか」という名前がある地は、温暖期であった我國が、寒冷期になった時に日高見国の住人が移り住んだところです。岐阜の飛騨高山もそうです。居酒屋の日高屋は?って、そんなこと知らんばい。

 和歌山にも御坊市と言うところに日高川があります。ここもそうですね。これも繰り返し書いていますが、御坊市には、中学時代に文通をしていた女の子がいました。六年生時代だっけ、なんか月刊誌がありましたよね。そこの文通欄に「夢を持った人と文通したい」と載せました。こんなこと書いても誰も連絡してこないなあ、って思ったら、宮下あゆみちゃんとう言う人から連絡をもらいました。結局一度もお会いしていないし写真も交換していません。おかあさんが、宮下人形店と言うお店をやっていて、一度、素敵なお人形をいただきました。その後私が高校受験に落ちて一年中学浪人をしたときに、文通は自然消滅になってしまいました。かつての言葉で言うと

最低!

ですね。今どうされているんだろう。社会人になって探したんですが、お店はもう閉店しているし、あゆみちゃんも探せませんでした。手紙を見る限りとても優しい子でした。

初めてのお使いならぬ、初めての失恋😭

 その御坊市に、なんとも素晴らしい醤油屋さんがあります。
 

https://www.horikawaya.com/08history/
  なんて素敵なホームページでしょう。何度も見たくなります。

 堀河屋村野さんです。元禄元年(1688年)創業です。337年目です(この会社だけです。元号のあとにカッコ書きで西暦を書いているのは。うれしい〜!)

  熊野水軍の末裔で、紀州藩の荷物を運ぶ廻船問屋でした。紀州の産物である木材やみかんを江戸に運びました。1700年前後には十数隻を保有していたそうです。1756年に蝦夷に漂流して松前藩や紀州藩に迷惑をかけたので船を降ります。
 
 そして丘の商売として以下を始めました。
すべて堀河屋村野さんホームページより

一切味を変えることなく300年以上続いています。この醤油がうまいんだ!一才の妥協がない本物の醤油です。

  日本の企業はすごいなあ。お店も綺麗。長く続くところはみんな「そわかの法則」が生きています。「そうじ・わらい・かんしゃ」です。

ルーティを 三百年も 繰り返す 老舗の強さ 不易流行

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年7月19日 09:21に書いたブログ記事です。

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