平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,263通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
(すみません、このURLのアドレスを長い間書き間違えていました。修正しました)
石破がアメリカの関税通告に「なめられてたまえるか」「みんなで心をひとつにして国益を守らねば」となんか訳のわからないことを言っています。何もしてないし何も戦ってないのに、「なめようがない」じゃん。むしろ何もしてないからなめられるだよ。「みんなで心を一つにする」ことをやってないのはあんたじゃん。国益を守ってないのはあんただろう。この人、怖いぐらいに自覚がないですね。あんまり言いたくないのですが、皆さんの会社に新入社員で若い頃の石破が来たらどうします?
お天道様、今日もよか日にしますけん観とってください
かつて書いた「未来日本昔話」を再掲しています。「未来日本昔話」は大きく三つに分かれています。
❶ひとつは悪夢の民主党(今の立憲共産党)政権を書いた「平成二十一年(2009年)十二月七日〜平成二十二年(2010年)二月一日の「未来日本昔話」
❷二番目は平成二十二年(2011年)九月二十三日〜同年十月三十日の「未来日本昔話(南京大虐殺の嘘)」
❸三番が平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」
平成二十二年(2010年)一月九日に書いた記事です。修正を加えず当時の記事そのままを書きます。
民主党の菅さん、ひどいですね。マクロの成長戦略がない、他国との為替調整協議がないのに、あんな為替発言をしてしまいました。まったく民主党の閣僚というのは、自分が王様にでもなったつもりなのでしょうか。これはリーダーシップでもなんでもありません。「ひとりよがり」というものです。左翼政権の特徴ですね。自分が絶対的に正しいと思い込んでしまっている。本人は何が悪いのか、まったくわかっていらっしゃらないご様子です。この政党は早く政権政党から降りたほうがいい。そうでないと、ほんとうにこの「未来日本昔話」のように日本がつぶれてしまいます。
価値観の違いとかではないのです。やっていることが「貧しすぎる(プアー)」なのです。国がつぶれるほうへつぶれるほうへ誘導しています。それを支持している国民もいるから不思議ですが。
さて、時は西暦2100年。日本の国はつぶれてしまっています。おばあちゃんとまさる君の会話です。
この未来日本昔話を読んで「ほんとうかな~」って考えている人は要注意です。誰が正しいかではなく、何が正しいか。そういうテーマで書いていますので、あっちが正しい、こっちが正しいという価値観の問題ではありません。これが日本の真実の姿です。
価値観の違いとかではないのです。やっていることが「貧しすぎる(プアー)」なのです。国がつぶれるほうへつぶれるほうへ誘導しています。それを支持している国民もいるから不思議ですが。
さて、時は西暦2100年。日本の国はつぶれてしまっています。おばあちゃんとまさる君の会話です。
この未来日本昔話を読んで「ほんとうかな~」って考えている人は要注意です。誰が正しいかではなく、何が正しいか。そういうテーマで書いていますので、あっちが正しい、こっちが正しいという価値観の問題ではありません。これが日本の真実の姿です。
「まさる、今日は、武士道の続きだったね」
「うん。昔の外国人や日本の国の人が言ったことをおばあちゃんがまとめてくれるって言ったよ」
「そうだったね。その上で、武士道を見ていこう。日本の精神文化の柱。日本文明の柱と言っても過言ではないものが武士道だよ。大東亜戦争後の誤った教育によって日本人が忘れてしまったことさ。まあ、国がつぶれたのは、おばあちゃんから言わせれば、この武士道の精神を国民が忘れてしまったからさ」
「武士道だから男の人だけの精神文化なの?」
「おやおや、まさるは相変わらず冴えているね。とんでもないよ。かつての日本の女性がもっともこの武士道の精神を実践していたのよ。これは長くなるから、また今度ね」
「うん」
「まさるが話してくれたこととダブルかもしれないけど、おばあちゃんなりに整理したからね。
『江戸時代の最初の米国総領事ハリスは「一見したところ、富者も貧者もいない。これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう」と言っている。将軍家定に謁見したハリスは、将軍の衣服の質素さ、江戸城の簡素さに深く印象付けられそのことを書き残している。日本を統治した最高権力者としての将軍家には、欧米諸国の支配者を特徴付けるあらゆる意味での豪奢さはいささかもみられなかった」
『ジーボルトという人は、日本では身分の違いは欧州よりも厳しいが、人々は同胞として相互の尊敬と好意によって堅く結ばれているとある本で書いた』
『「武士の娘」という本を書いた杉本えつこは、召使は地位は低くても、家族として扱われ。主人と共に喜び、共に悲しみ、また主人も召使を親身になって世話をしました。そのような親しみや思いやりはあっても、主従の関係がみだりになれなれすぎるということはありませんでしたと書いている』
『在日フランス大使のポール・クローデルは「彼らは貧しい。しかし、高貴である」と語った』
ねっ、すごいでしょ。素敵な国民だったでしょ?人の上に立つ者ほど己を厳しく律することが自明の理とされていたの。だから、身分が下の人々もまた、満ち足りた幸福そうな微笑を浮かべて暮らすことが出来たの。諸外国の人々はそんな日本の姿に驚嘆したの」
「なんか、すごいね。そんな国があったんだ。日本はそんな国だったんだ。今では考えられないね」
「そうだね。みんなが個性という字の意味をはき違えているからね。それが大東亜戦争後の誤った教育で、「自分の都合が優先する」という間違った個性教育をしてしまったの。それで、こんなに素晴らしかった武士道精神をなくしてしまったのよ」
「個性って本当はどういうことなの?」
「『性』という字はね、人間がひとりひとり与えられた天からの使命という意味を持っているの。体の大きい人も小さい人も、体力に優れている人も、そうでない人も、みんな天から何かしらの役目を与えられて生まれてきているんだよ。この役目のことを『性』というの。大きなくくりで言うと人間には人間性が与えられているんだよ。動物にはなれないだろう? 男性、女性ということもそう。これがもっと一人ひとりに変えられない役割が与えられているんだよ。その役割を見つけ、その役割を一隅を照らすようにコツコツと果たして行くことを個性というの。決して、自分勝手な事をいう言葉じゃないんだよ」
「へ~、はじめて知った。昔の日本人は、ほんとうの意味で個性を発揮することにつとめようとしていたんだね」
「そうだよ。自分の役割を果たすということは、結果的に世の中に対しての役割を果たすことになるんだよ。だから『互譲互助』なんだよ。『義勇公に奉じる』『背私向公』なの」
「おばあちゃん、ものすごく感動している。日本ってほんとうに素晴らしい国だったんだね」
「そうだよ。西洋的な基準から言えば立ち遅れていた江戸・明治期の日本であるにもかかわらず、なぜ、高貴な国柄をつくれたのか。それのバックボーンとなる精神文化が武士道なのさ。さあ、いよいよ武士道の神髄に迫ろうね。つづきは明日」
「うん。おばあちゃんと毎日こうやって話すの楽しいな」
「ありがとうよ。おばあちゃんも生きる張り合いが出てきたよ。ほんとうにうれしい。前みたいに頭痛や腰痛で悩むことが少なくなってきた」
「じゃあ、僕はおばあちゃんのお薬なんだね。」
「(笑)そうだよ。まさるや、今日は、おうちにお土産を持ってお帰り。愛知県の江南市にある大口屋さんということろの、麩饅頭(ふまんじゅう)三喜羅(さんきら)だよ。まさるには、ここにもひとつ用意してあるから今食べてご覧」
「どれどれ。やわらか~い。 うっわ~、おいしい! お父さんもお母さんも弟と妹も喜ぶよ。ありがとう、おばあちゃん。また明日ね」
「はいはい。待ってるよ」
「うん。昔の外国人や日本の国の人が言ったことをおばあちゃんがまとめてくれるって言ったよ」
「そうだったね。その上で、武士道を見ていこう。日本の精神文化の柱。日本文明の柱と言っても過言ではないものが武士道だよ。大東亜戦争後の誤った教育によって日本人が忘れてしまったことさ。まあ、国がつぶれたのは、おばあちゃんから言わせれば、この武士道の精神を国民が忘れてしまったからさ」
「武士道だから男の人だけの精神文化なの?」
「おやおや、まさるは相変わらず冴えているね。とんでもないよ。かつての日本の女性がもっともこの武士道の精神を実践していたのよ。これは長くなるから、また今度ね」
「うん」
「まさるが話してくれたこととダブルかもしれないけど、おばあちゃんなりに整理したからね。
『江戸時代の最初の米国総領事ハリスは「一見したところ、富者も貧者もいない。これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう」と言っている。将軍家定に謁見したハリスは、将軍の衣服の質素さ、江戸城の簡素さに深く印象付けられそのことを書き残している。日本を統治した最高権力者としての将軍家には、欧米諸国の支配者を特徴付けるあらゆる意味での豪奢さはいささかもみられなかった」
『ジーボルトという人は、日本では身分の違いは欧州よりも厳しいが、人々は同胞として相互の尊敬と好意によって堅く結ばれているとある本で書いた』
『「武士の娘」という本を書いた杉本えつこは、召使は地位は低くても、家族として扱われ。主人と共に喜び、共に悲しみ、また主人も召使を親身になって世話をしました。そのような親しみや思いやりはあっても、主従の関係がみだりになれなれすぎるということはありませんでしたと書いている』
『在日フランス大使のポール・クローデルは「彼らは貧しい。しかし、高貴である」と語った』
ねっ、すごいでしょ。素敵な国民だったでしょ?人の上に立つ者ほど己を厳しく律することが自明の理とされていたの。だから、身分が下の人々もまた、満ち足りた幸福そうな微笑を浮かべて暮らすことが出来たの。諸外国の人々はそんな日本の姿に驚嘆したの」
「なんか、すごいね。そんな国があったんだ。日本はそんな国だったんだ。今では考えられないね」
「そうだね。みんなが個性という字の意味をはき違えているからね。それが大東亜戦争後の誤った教育で、「自分の都合が優先する」という間違った個性教育をしてしまったの。それで、こんなに素晴らしかった武士道精神をなくしてしまったのよ」
「個性って本当はどういうことなの?」
「『性』という字はね、人間がひとりひとり与えられた天からの使命という意味を持っているの。体の大きい人も小さい人も、体力に優れている人も、そうでない人も、みんな天から何かしらの役目を与えられて生まれてきているんだよ。この役目のことを『性』というの。大きなくくりで言うと人間には人間性が与えられているんだよ。動物にはなれないだろう? 男性、女性ということもそう。これがもっと一人ひとりに変えられない役割が与えられているんだよ。その役割を見つけ、その役割を一隅を照らすようにコツコツと果たして行くことを個性というの。決して、自分勝手な事をいう言葉じゃないんだよ」
「へ~、はじめて知った。昔の日本人は、ほんとうの意味で個性を発揮することにつとめようとしていたんだね」
「そうだよ。自分の役割を果たすということは、結果的に世の中に対しての役割を果たすことになるんだよ。だから『互譲互助』なんだよ。『義勇公に奉じる』『背私向公』なの」
「おばあちゃん、ものすごく感動している。日本ってほんとうに素晴らしい国だったんだね」
「そうだよ。西洋的な基準から言えば立ち遅れていた江戸・明治期の日本であるにもかかわらず、なぜ、高貴な国柄をつくれたのか。それのバックボーンとなる精神文化が武士道なのさ。さあ、いよいよ武士道の神髄に迫ろうね。つづきは明日」
「うん。おばあちゃんと毎日こうやって話すの楽しいな」
「ありがとうよ。おばあちゃんも生きる張り合いが出てきたよ。ほんとうにうれしい。前みたいに頭痛や腰痛で悩むことが少なくなってきた」
「じゃあ、僕はおばあちゃんのお薬なんだね。」
「(笑)そうだよ。まさるや、今日は、おうちにお土産を持ってお帰り。愛知県の江南市にある大口屋さんということろの、麩饅頭(ふまんじゅう)三喜羅(さんきら)だよ。まさるには、ここにもひとつ用意してあるから今食べてご覧」
「どれどれ。やわらか~い。 うっわ~、おいしい! お父さんもお母さんも弟と妹も喜ぶよ。ありがとう、おばあちゃん。また明日ね」
「はいはい。待ってるよ」
コメントする